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歴史的技術ドキュメント&学術研究アーカイブ

HP200LX 日本語化キット
開発秘話・歴史と全容

1990年代、世界最小のDOSパームトップ「HP 95LX / 100LX / 200LX」に魅了された熱狂的ユーザーと開発者たちが紡いだ奇跡の日本語化ストーリー。 慶應義塾大学・國領二郎教授によるオープンイノベーションと無償デジタル財の先駆的研究論文を冒頭に収録し、北角権太郎氏らによる商用「日本語化キット」誕生に至る連載秘話と資料を文章の分断なく完全統合収録。

慶應義塾大学 國領二郎教授 研究論文収録 開発元:オカヤシステムウェア 協力:FHPPC 有志 販売:若松通商
HP200LX 日本語化キット 開発秘話 表紙
🎓 学術論文編(慶應義塾大学大学院 國領二郎研究室)

製品の使い手が製品をベストセーラにする事実

オープンネットワークにおける顧客間インタラクションとユーザー・イノベーションの学術的研究

学術論文 1 Pages 71 - 81
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ネットワーク上の顧客間インタラクション

Customer-to-Customer Interaction on Computer Networks / 慶應義塾大学大学院 森田正隆・國領二郎教授

ネットワーク上の顧客間インタラクション(Customer-to-Customer Interaction on Computer Networks)
森田 正隆(慶應義塾大学大学院) / 1998年 経営情報学会春季全国発表大会予稿
【要旨(アブストラクト)】
コンピュータネットワーク(インターネットや各種オンラインサービス等)上において、顧客同士の自発的な相互作用が製品やサービスの価値を向上させる顕著な現象が見られる。本稿ではこの現象を「顧客間インタラクション(Customer-to-Customer Interaction)」と定義し、事例研究を通じて仮説の構築を試みる。その鍵となる要素として「アイデンティティへの関与」「イノベーションの誘発」「コミュニケーションの誘発」の3つの要因を提示する。

1.顧客間インタラクションとは

顧客間インタラクションとは「商業的に売られている商品をめぐって、顧客どうしがコミュニケーションし、それが商品の売れ行きや顧客満足に影響をあたえたり、商品に新たな付加価値をつける現象」のことである。

クチコミをはじめとする非商業的な人的情報源の存在とその重要性は、これまでのマーケティング研究においても取り上げられてきた。しかし、インターネットをはじめとするオープンな電子ネットワークの登場は、クチコミの伝播範囲と速度を拡大させ、いまやマス・コミュニケーションを主体とした従来のマーケティングの常識を打ち砕きかねない兆候すら示している。ネットワークで利用される電子会議室の利点の一つは、過去に発言された情報が消されずに残っていて、自分が読みたい発言にまで溯って読むことができることにある。さらに電話回線に接続できればどこにいても誰でも同じ情報を手に入れることができる。前者の特徴を「情報の蓄積機能」、後者を「情報の公開機能」と呼ぶことにしよう。

情報の蓄積機能は、利用者に他のメンバーとの同期的アクセスを要求しないという点で、時間的な制約を緩和している。さらには、自然発生的なデータベースであるともいえる。一方、情報の公開機能は、利用者の地理的制約や属性的制約を緩和することで情報の伝播範囲を広げているのである。これらの特徴が消費者間における自発的な情報の生成と伝播を大きく拡大しているといえるのである。本論では、ネットワーク上の顧客間インタラクションが活性化する要因について、いくつかの事例を見た上で、仮説を構築し提示するものとする。

2 文献研究最初に筆者の問題意識と先行文献とを照合した結果、つぎのような結論を導き出した。大量生産・大量販売時代には、生産者である企業が情報を占有し、彼らからの情報提供を画一的な「国民」が一方的に受け入れる「エナクトメント・パラダイム」が市場を支配した。しかし、成熟消費社会の到来に伴い、顧客との対話を通じてニーズを発掘していく「インタラクション・パラダイム」へと企業の戦略はシフトしていかざるをえなくなった。そうなると、垂直統合あるいはフルライン維持を基軸とした規模優先の企業戦略は適応力を失ってくる。ましてや、大企業が企図する「One to One マーケティング」

などは単なる自己矛盾でしかない。もはや大企業は自らの力の限界を謙虚に認識し、細かい顧客ニーズの充足や応用イノベーションの生成を消費者あるいはスモール・ビジネス同士のインタラクションに任せることが重要で、大企業はそれら顧客間インタラクションを活性化させる触媒として振る舞うことにその存在意義を見出すべきではないかと筆者は考える。顧客間インタラクションを通じて、電子ネットワーク上の電子会議室などに組織や階層が出現する現象が見られるが、その理由は次のとおりである。電子会議室上での情報のやりとりは等価交換である経済的交換ではなく、一方的な贈与を含む社会的交換である。よって、他のメンバーに一方的な情報贈与を続けることのできる能力を持った一部のメンバーに権力が発生する。さらに人間の認知能力の限界からか、コア・メンバーは7名程度に集約されることが多い。彼らが電子会議室上で権力を持ち、その周辺に階層が出現する現象は必然的である。

電子ネットワーク上で情報提供のインセンティブが発生し、メンバーが競い合うように無償の情報贈与を続けるのは、ネットワークの構造が参加者の行動に強い影響を与えているからである。電子ネットワークでは、他人同士のインタラクションも含めてその場全体の活動状況を把握しやすいため、メンバー間での規範や行動原理の共有がすすみやすい。また、メンバー同士は構造同値と役割同値の関係にあるため、その点でも類似性と競争関係が促進されやすい。そのため、前段で説明した一方的贈与に伴う権力獲得を目指した競争心がインセンティブとなり、一方的な情報贈与競争が起こるのである。

現代の価値ある情報とは、異なる主体同士の「編集的相互作用」から生まれる「動的情報」である。ネットワークへの自発的な参加が情報生成の循環プロセスを発生させる。しかし、ネットワークに関わるということは同時に余計なやっかいごとを背負い込むことでもあり、弱さの源でもある。その弱さが動的情報生成という強みと同居しているところにネットワークへの自発的参加のパラドックスがある。いずれにせよ、ネットワークが活性化し、動的情報を生む場であるためには、新規メンバーの参加が認められ、情報が公開されていなければならない。だが、上記の「自発性が生み出す弱さ」だけが強調されることのないようある程度のメンバー認証と秩序形成が必要と考えられる。

情報には再生産と複製にコストがかからないという公共財的な性質がある。メディアのデジタル化が進むと、あらゆるコンテンツやソフトウェアがこの条件を満たすようになる。さらに電子ネットワークがプラットフォームとして機能することで、人口統計的には少数しかいないイノベータ同士の交流が促進される。顧客間インタラクションの実体は情報財であり、イノベータたちが生み出すユーザ・イノベーションがソフトウェアを初めとする情報財の形をとることによって、電子ネットワークが情報財の自発的拡大再生産のエンジンとして機能することが予測される。

3 事例研究つぎに、顧客間インタラクションを具体的に理解すること、ならびに、仮説の導出を企図し、三つの事例研究をおこなった。

(1)

ポケベル

緊急連絡があるときにピーと鳴るだけの無粋なビジネス・ツールであったポケベルに87 年、数字表示ができる新しいタイプが発売された。その目的は連絡すべき電話番号を伝えるためであり、ビジネス用途が主なターゲットであった。ところが、女子高生たちがそのポケベルをコミュニケーション・ツールとして応用し始めた。その秘密は「ベル暗号」にある。「0840」を「オハヨウ」と読ませ、「3341」を「サミシイ」と読ませる、いわゆる語呂合わせの応用がベル暗号である。彼女たちは自らの工夫でベル暗号をはじめとする独自のルールを作り出し、そのルールを交友関係のネットワークを通じて伝播させていった。自分たちの頭の中に暗号化と復号化のプロセスを埋め込んだこの利用方法は、まさしくユーザ自身の手によるイノベーションといえよう。

さらに、彼女たちは見ず知らずの他人に「ベルトモニナロウ」とメッセージを入れて「ベル友」をつくりだすというネットワーキングの流行を生み出した。しかし、ポケベルの需要拡大の過程では、企業側にとってやっかいな問題も持ち上がった。「輻輳問題」である。95 年から翌年にかけて、夜の10 時から12 時台にポケベル・サービスの電話がつながりにくくなるという苦情が寄せられ始めた。もともとポケベルは1 ユーザあたり1日平均1、2 回の利用を見込んで設備が設計されていた。しかし、女子高生は1 日平均10 回以上も送受信を繰り返す上、その利用時間帯が夜の10 時過ぎに集中していた。しかも、彼女たちは送信できる文字数の限度一杯までをフルに活用していた。当然、ポケベルの回線はパンク状態となった。

緊急時に必ず呼び出せるからという理由でポケベルを利用していたビジネス・ユーザは当然、キャリアに苦情を持ち込むことになり、その結果、キャリアは従量制料金の緊急導入や販売活動の一時自粛などの対策に追われることとなった。ポケベルの例は、顧客が製品の新しい用途を自発的に生み出して自らネットワークをつくりながら普及させていったケースである。一方、その需要拡大は企業の予想を上回る規模であり、また予想もできない利用形態であったため、一時的には事業構造そのものをも破壊しかねないほどの力をも示した。

(2)

松下電器レッツノート

松下電器が、96 年夏に軽量ノートパソコン「レッツノート」で初めてヒットを放った。その背景には、ユーザ間の自発的な情報交換に注目しつづけていたメーカ担当者の姿があった。パソコンは販売後のフォローや評判が重要である。そのころパソコン通信ニフティサーブには松下電器製のパソコン・ユーザが自主的に集い情報交換を行うためのフォーラムが開設されており、レッツノート専用の会議室も用意されていた。電子会議室上では、使い方や性能の良し悪しをユーザたちが書き込んでくれていた。メーカから見れば、宣伝にもなるし、親切な手引書の代わりにもなる。しかし、悪い情報ほど関心を集め、あっという間に広まってしまうのも電子会議室の特徴である。

その頃電子会議室では早くもレッツノートの不具合に関する話題で盛り上がっていた。だが、松下電器の担当者は耳の痛いその情報をも積極的に評価した。従来、製品のトラブル問題が発生した場合、工場にまで情報が届くのに1 ヶ月はかかっていた。しかし、電子会議室でユーザどうしが相談し合っているのを読めば、トラブル情報は即座に手に入る。松下電器のマーケティング責任者は毎朝6 時にニフティを読むのが日課となった。悪い情報があれば、開発担当者や工場の責任者など約100 人に電子メールを送り続けたのである。その結果、電子会議室で問題報告があがった日の翌日には生産ラインでのトラブル対策が実施されるという成果もあがった。

その後、フォーラムのメンバー約15 名が松下の招きに応じて次期製品の開発に企画段階から参画するということになり、ユーザ・フォーラムとメーカの協働はさらに進んだ。97 年7 月にはフォーラムの有志が主体となってレッツノートを活用するための解説本が出版されるなど、パソコン通信の枠外でもユーザ間の知識伝播が活発におこなわれ始めていた。しかし、97 年6 月に発売した新機種もトラブルとは無縁でなかった。数十件のトラブル報告が寄せられた後、松下電器のレッツノート担当者が電子会議室に謝罪とトラブル対応に関する発言を書き込んだ。その内容は、製品開発に対する自らの思い入れを正直に述べ、日頃のユーザの活動に感謝するとともに、トラブルに関して謝罪をした上で、不良品の回収方法などを丁寧に記してあった。ユーザの多くは誠意あふれる対応に歓迎の意を表明したが、一部からは「ユーザ主宰の会議室でメーカの人間が公式発言をするのはよくない」という指摘もあった。また、このことをきっかけとして、不満を一斉にぶちまけるメンバーもあらわれた。その後、メーカからの公式情報はフォーラム責任者を経由して専用会議室に書き込まれるということが改めて確認され、メーカの社員は会議室から姿を消すこととなった。

今もなお、レッツノートの会議室ではユーザどうしの互恵的な情報交換が主体であるが、それでも時折、メーカの目を意識しての暴露的な告発発言が書き込まれたりするなど、会議室の性格はつねに揺れ動いている。パソコンに代表されるように機能が豊富で複数のメーカが提供する製品やソフトを組合わせて使用しなければならない商品では、単一メーカの直接的なサポートはあまり役に立たない。ユーザ・クラブで交わされるコミュニケーションの方がはるかに迅速で的確な情報が手に入るのである。こうなると、ユーザ・クラブの質の良し悪しが製品の競争力を左右することにもなりかねない。

しかし、ユーザ・クラブにメーカが直接介入しようとしたり、あまりに接近しすぎてもユーザの反発を招き共倒れになる危険性があることもまた、この例が示すところである。

(3)

HP200LX

つぎは、HP200LX という手のひらパソコンをめぐる日本語ソフト開発物語である。LX シリーズは米国HP 社が販売する携帯情報端末であったが、日本での市場規模は小さいと判断され、日本語モデルの開発は見送られた。ところが、英語モデルを手にした熱狂的ユーザの何人かがパソコン通信を通じて知り合い、自分たちの手で日本語化ソフトを作ろうということになった。やがて、ユーザたちは自発的に仕事を分担し、日本語の表示や入力に関する各種ソフトを共同作業で生み出していくことになった。そして、93 年には、一連の日本語化ソフトがネットワーク上で無料公開されていき、日本におけるLX 人気は着実に上昇していくことになった。

また、翌年の4 月には、LX ユーザが中心となり、『HP100LX 徹底活用ブック』(FMODEM 携帯端末研究会、ビー・エヌ・エヌ、1994 年)という書籍が出版された。日本語化ソフトのフロッピー・ディスクを添付したこの本は、出版元の当初見込み4000 部を大きく上回る1 万8000 部を発行することになった。そして、ついに94 年9 月、YHP 社はHP200LX 発売の記者会見においてユーザが開発した日本語化ソフトを公認することになった。さらに、外部のソフトウェア会社がLX 日本語化ソフトを一部改良して製品にまとめ、販売とサポートに乗り出すことが決まった。

そして、初代モデル95LX の時には2 年間で1000 台しか売れなかったものが、200LX が発売されるや月間5000 台もの注文が舞い込むようになった。品揃えの一つとして並べていただけのLX シリーズがYHP 社の戦略商品となったのである。LX のユーザが増えるにつれ、腕の立つソフト作者がぞくぞくとネットワーク上に参加しはじめた。初期ユーザたちの無償の行為は、爆発的に増える多彩なフリーソフトの出現という面で、実質的にも報われることになった。

ここでユーザたちの自発的な活動とそれがもたらした結果について考えてみよう。なぜ、LX シリーズは日本でヒットしたのであろうか。答えはただひとつ。「ユーザたちが勝手に日本語化をし、積極的な拡販活動をした」からである。彼らは日本語用基本ソフトを作成し、ネットワークを通じて無料で配布し、ソフトを添付した解説本を出版し、ネットワーク上で初心者ユーザのサポートをおこなった。彼らはYHP 社の社員ではなかったが、優秀なソフト開発者であり、熱心な営業マンであり、丁寧なサポート・マンであり、説得力のある広告マンであったといえよう。

このような人口統計的にはごく少数しかいないと思われる「イノベータであり、オピニオン・リーダにもなりうる消費者」どうしが出会い、一定の規模で人的ネットワークを組むことができたということが、この現象を支えた主要な要因である。この事例において注目すべきは、ユーザが交流するプラットフォームや媒体の性格である。電子的なネットワークが広範囲のユーザにインタラクションのチャンスを与えていることは否めない。数少ないイノベータどうしが知り合えたのもそのおかげである。また、電子的な場の情報蓄積機能もインタラクションの時間的範囲を拡張している。

もともと200LX は、ユーザ・サイドでソフトの組み込みが可能なような設計がソフトウェア面で施してあった。また、OS(基本ソフト)に一般的に広くパソコンで使用されているMS-DOS を採用していたため、DOS 用のさまざまなフリーソフトや開発ツールが転用可能であった。ユーザが手を出せないブラックボックス化された製品ではなく、汎用的な技術を採用したスケーラブル・アーキテクチャの製品であったことが、ユーザ・カスタマイズを可能にした大きな理由のひとつであろう。

また、ソフトウェアの流通手段として、当初の電子的な配布形態に加え、その後、書籍に添付するスタイル、製品パッケージとして流通させるスタイルへと時間の経過とともに多岐にわたっていった点は、製品の新規採用者が保守化していく流れに合わせて、知覚リスクの低減と伝統的チャネルの採用を図る行動がとられたと考えることができる。4 分析文献研究、事例研究の結果、ネットワーク上の顧客間インタラクションの本質は「情報」であり、その生成と交換の過程に注目すべきであるという結論にいたった。そして、情報の生成を刺激する要因としてアイデンティティ関与度とイノベーション誘発度を、情報の交換を刺激する要因としてコミュニケーション誘発度を提示する。

(1)

アイデンティティ関与度

消費者にとって高関与の対象となる商品やサービスは個人特定的な情報を発生させやすいといえる。また、自意識が確立しはじめると、身につけるものや持ち歩くものなど自己表現に関わるものに対しても人はこだわりを見せるようになる。それらの財は社会的存在である個人のアイデンティティ表現に深くかかわっているからである。このように消費者が自分自身と深い関わりを持つものに対して高関与の態度を形成している度合いを「アイデンティティ関与度」という言葉で表現し、顧客間インタラクションを活発にしている一要因として取り上げることにしたい。

(2)

イノベーション誘発度

現代のイノベーションでは、ユーザの果たす役割は非常に大きい。ユーザ・イノベーションそのものも実体は情報財である。そのように考えると、ユーザ・イノベーションが活発に起こるということは、顧客間インタラクションの実体でもある情報が多数発生するということになる。ユーザ・イノベーションの代表例は用途開発のイノベーションであろう。たとえば、メーカが思いもしなかった利用方法をユーザの実例に教えられて商品の市場が広がったという例は数多くある。ここで、情報発生を活発にするこれらイノベーション誘発に関係する要因を「イノベーション誘発度」と呼ぶことにしたい。

(3)

コミュニケーション誘発度

たとえ、情報が発生してもそれが伝播し、新たなる動的情報を生み出さなければインタラクションとはいえない。そのためには、消費者同士のコミュニケーションが円滑におこなわれやすい環境の存在が必要となる。交換の発生を活発にするこの要因を「コミュニケーション誘発度」と呼ぶことにする。コミュニケーションを促進するためには、物理的には各主体間の初回接触の可能性を高め、いったん成立した関係状態が維持発展し、ひとつの関係が次の新たな関係を生み出すサイクルにもちこめばよい。具体的には、つぎに示す四点の条件が必要である。

第一に、コミュニケーションの主体となる対象であるn数が大きいことである。第二に、時間的、空間的に分散している交換相手との初回接触の可能性を高めることである。第三に、各主体間で使用される語彙や文脈が共通していることである。第四に、情報交換の相手と持続的なコミュニティを形成したり、持続的な関係を維持できることである。5 仮説前節で提示した三つの要因ごとに顧客間インタラクションを活発にする条件を仮説として提示する。

(1)

アイデンティティ関与度

<仮説1-1>携帯性がある商品は、顧客間インタラクションが活発になる。

携帯して使用する商品は、使用しているところを他人から見られるのでアイデンティティとの整合性を気にするようになる。また、パーソナル性が高いので、共同で使用するものと比べると占有意識が強く、関与が高まりやすい。

(2)

イノベーション誘発度

<仮説2-1>ユーザがカスタマイズできる商品は、顧客間インタラクションが活発になる。

ユーザ・イノベーションはユーザのアイデアでカスタマイズできる商品の場合に起こりやすくなることはいうまでもない。

<仮説2-2>普及の初期段階にある商品は、顧客間インタラクションが活発になる。

製品の普及が進んでいない初期段階では、評価が定まっておらず、具体的な用途も多様性に乏しい。この段階では、用途開発のイノベーション活動と評価形成のためのイノベーション活動がおこる。

<仮説2-3>イノベータの参加が多いコミュニティでは、顧客間インタラクションが活発になる。

損得をかえりみないイノベータの冒険的な態度から用途開発型や改良型のイノベーションが数多く生まれる。よって、イノベータの性質を持つメンバーが数多く参加しているコミュニティではとうぜん顧客間インタラクションが活発になる。

<仮説2-4>イノベーション成果を量る基準があると、顧客間インタラクションが活発になる。

イノベーションの成果を量ることができる目安があることは、イノベータのモチベーションを刺激し、情報財の生成を促進させ、もって顧客間インタラクションを活発にする。

(3)

コミュニケーション誘発度

<仮説3-1>「情報の蓄積機能」と「情報の公開機能」を持つ電子ネットワーク上に情報交流の場が存

在すると、顧客間インタラクションが活発になる。文字が主体のコミュニケーションは記録が残り、非同期的なアクセスでも情報入手と発信を可能にし、利用者の時間的、空間的制約を大きく緩和する。電子ネットワーク上に情報交流の場が存在することは、「初回接触可能性が高い」「情報伝達が容易」「関係持続・コミュニティ成立が容易」という点でコミュニケーション誘発度を高め、顧客間インタラクションを活発にする。

<仮説3-2>現実の場所に決まった交流の場が存在すると、顧客間インタラクションが活発になる。

また、電子ネットワークをサイバーな場とすれば、一方で、リアルな現実の場というものも平行して存在している。両者は決して排他的ではなく、交流の場として相互補完的な関係を持つ。なぜなら、「電子会議室で普段話している人とは初めて会っても話しやすい」とか「一度顔を見て話した人とは電子会議室でも親近感を持ちやすい」というのはごく当たり前の自然な感情であるからである。

<仮説3-3>語彙が統一されている、語彙統一の活動があるコミュニティでは、顧客間インタラクショ

ンが活発になる。語彙統一は、その後のコミュニケーション活動を円滑かつ効率的にするとともに、語彙共有が仲間意識を醸成することによって、場の維持および活性化に貢献する。これは、コミュニケーション誘発度が高いということであり、顧客間インタラクションを活発にする。6 今後の課題今後の研究では、筆者が提示した仮説の理論的かつ実証的な確からしさを補強していくとともに、より調査対象の範囲を広げ、操作定義に工夫をこらし、多くの角度から仮説検証をおこなうことが望まれる。

以上

参考文献

•

Blau, Peter M., "Exchange and Power in Social Life", John Wiley & Sons, Inc., 1964.(邦訳:間場寿一・居安正・塩原勉『交換と権力』新曜社, 1974).

•

今井賢一『情報ネットワーク社会』岩波書店, 1984.

•

金子郁容『ボランティア もうひとつの情報社会』岩波書店, 1992.

•

國領二郎・田村隆史・森田正隆「「共感」が生み出す価値-自発性と参加の経済原理」金子郁容他編『電縁交響主義-ネットワークコミュニティの出現』NTT出版, 1997.

•

松岡正剛『知の編集工学』朝日新聞社, 1996.

•

森田正隆・國領二郎「松下電器産業株式会社パナソニックコンピュータカンパニー」慶応ビジネススクール, 1997.

•

森田正隆・國領二郎「Hewlett-Packard 200LX」慶應義塾大学ビジネススクール, 1997.

•

森田正隆・山崎明音・田口順子・秋山彩「ポケベル~つぶやきとささやきのネットワーク」富士ゼロックス編『コラボ』1997.

•

嶋口充輝『柔らかいマーケティングの論理』ダイヤモンド社, 1997.

•

安田雪『ネットワーク分析』新曜社, 1997.Copyright(c) Masataka Morita, 1998.

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学術論文 2 Pages 82 - 100
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ネットワーク上における「無償デジタル財」との競争

オープンネットワークとボランティア経済 / 慶應義塾大学 國領二郎教授

國領二郎教授 論文抜粋
図:オープンネットワークにおける無償デジタル財と経済空間の構造モデル。

ネットワーク上における「無償デジタル財」との競争國領二郎慶應義塾大学大学院経営管理研究科

1.ネットワーク文化とビジネスの邂逅

コンピュータ・ネットワークが発展するにつれて、それが生み出す空間の中でさまざまな形態の経済活動が行われるようになってきている。それは疑うべくもなく、価値の生産と分配なのだが、そのメカニズムは必ずしも従来の資本主義経済の原理に従っているとは見えない。もう少し正確に言うと、極めて矛盾した動きが見えると表現した方がいいのかもしれない。現在、電子ネットワークの中には純粋とも言ってもいいほどの営利主義と、資本主義を否定するがごとく自己の利益を省みず他人に奉仕することを目的とした活動の両方が緊張関係を持ちながら併存している。

情報ネットワークは一方で市場における情報流通を活性化させ、完全情報に基づく市場経済を生む力を持っているようにも思われる。より純粋な市場経済の誕生を促している、と言ってもいいのかもしれない。これを最も具体的な形で体現し、かつ発言しているのは他ならないマイクロソフト社会長のビル・ゲイツ氏であろう。ゲイツ氏(Gates(1995))はネットワークを「究極のマーケット」と呼び、「社会的動物であるわれわれ人間は、そのマーケットでものを売り、交換し、値切り、新製品に目をとめ、議論し、新しい人々と出会い、暇をつぶすことになる。(p22)」とし、情報の不完全性の除去によって「摩擦ゼロの資本主義(第八章)」が生まれる、としている。金融業界などにおいて、経済の情報化とグローバル化に伴って市場原理が各国市場に浸透しつつある現状などを見るとこのシナリオに従った動きが現実のものとなっているとの見方もできる。

これと対極に位置づけられるのが、金子郁容氏(金子(1992))に見られるような、奉仕的な動機に基づくネットワーク上のボランティア活動である。金子氏は個人が見返りでなく、奉仕することが自らに与える喜びを目的に活動する現象を「もうひとつの情報社会」と呼び、ネットワーク化につれてボランティアが拡大することを示唆した。事実、インターネットなどはボランティアが組織化を行う上での強力な基盤となっている。NPO(non-profit organization)を法的に認知する動きが近年高まっているのも、ネットワークの進展と無縁ではない。

西垣通氏(西垣(1994))はインターネットが爆発的に普及する直前にマルチメディア社会の底辺に、むき出しの商品経済至上主義的な原理と従来の言葉や国境の垣根を越えた「感性共同体」作りの可能性とが併存していることを指摘した。この予言とも言える分析はインターネットの上でかなり顕著な形で現実のものとなりつつある。これに近接した考え方として、松岡正剛氏は人間の社会との関わりには対価を要求するカセギと奉仕をするツトメがあり、その二つを両方果たしてこそ「一人前」であるとしている。石井寛治氏(石井(1994))は情報化が市場経済を進展させつつあることを認めた上で、生産手段の私的所有に基づく今日の資本主義経済は企業が情報を独占することを前提としており、情報流通が進むこととの間に根源的な矛盾を持っていることを指摘している。

本章の目的はコンピュータ・ネットワーク上で営まれる経済活動に特徴的に見られる「無償供与」という現象を分析することで、今生まれつつある経済空間の特性についての考え方を提示することにある。なぜだか良く分からないし、急激に増え、形態が変化しているので、どれだけあるのかもきちんと把握できていないが、ネットワークの上には無償の財やサービス提供が多い。それがなぜであるかを分析することによってネットワーク上の経済空間の構造を探ろうというのが本章の設計である。

結論を先に書いてしまうと、資本主義対カウンターカルチャー、カセギ対ツトメ、交換経済対ボランティア経済、と言ったように、ネットワーク文化と利潤追求行動を対立的な構図で描くのが主流となりつつある中で、この二つの世界は必ずしも対立的ではなく、共通点を持ち、相互補完的ですらある、というのが筆者の視点である。

2.ネットワーク上の無償デジタル財

コンピュータ・ネットワーク上で提供される電子的な財やサービス(以後、このような電子的に流れ、経済価値を持つデジタル符合の集合をデジタル財と呼ぶ)にはその生成に多くのコストがかかり、商業的な価値を持っている場合がほとんどであるにもかかわらず、無償で提供さることが多い。また、有償をうたっていても「ただ乗り」することをあえて妨害しない商品提供の形態をとっているものも多い。その形態はさまざまなのだが、共通の原因によって無償提供という共通の結果が現われている。

動機はあえて問わない。と、いうより、むしろ無償提供が商業的動機と奉仕的動機の両方に基づいて増えているところに着目している。動機にいかんにかかわらず、サイバースペースには無償提供が起こりやすい環境がある。その原因を分析するのが本章の目的の一つである。インターネットのホームページ上で提供されている膨大な情報を見るだけでネットワーク上に無償デジタル財が大きくなっている現象が存在すること自体は誰しも認めることであろう。例えばこの文書を書いている時点で、マイクロソフト社はインターネットのいわゆるブラウザソフトを無料で提供している。自分のコンピュータをこのソフトウェアが載せられているコンピュータに通信回線で接続するだけで、物理的にはどこへも行かず入手することができる。(このようなやり方をダウンロードと呼ぶ)この手法はネットスケープ社が同じくブラウザソフトについて教育機関に対して無料での利用を認めている路線を拡大したものといえる。この二種類のソフトウェアだけでも、数千万本が使われると考えられ、非常に大きなサービスが無料で提供されていると言えよう。これが数少ない商品が多くの人間に使われている例外的な現象ではなく、提供されている種類も多いことも付記すべきだろう。http://www.vector.co.jp に見られるホームページには2万本以上のフリーウエアとシェアウェアが登録され、誰でもがダウンロードできるようになっている。

これまではダウンロード可能な応用ソフトウェア-いわゆるシェアウェア-がネットワーク上の無償デジタル財の大きなものであったが、近年インターネットの登場とともに、リアルタイムにサービスをネットワーク上で提供するものが現われている。アメリカン航空などのホームページにアクセスすると、誰でも座席予約システムを利用することができ、同社の路線だけでなく世界中の航空会社を対象に、世界中の任意の二地点を結ぶルートがあるかどうかを検索させてくれる。

さらにインターネットの普及に伴って顕著に見られるのが、従来個人や小さな会社がボランティア的に提供することが多かったネットワークの無償デジタル財の領域に、大きな商業的な目的を持つ会社が参加してくるようになったことである。これは無償デジタル財という現象が単に慈善や善意でのみ提供されているのではないということを表している。やや文学的な表現をすることをお赦しいただけるなら、ボランティア的な世界と商業的な世界が今ネットワーク上の無償デジタル財という現象面で接触し、対立するか、共存するか、融合するのかの分かれ目にきている。本章では、商業目的でありながらも無償で提供するという新しい現象に特に焦点を当てて考えることとする。

その意味で、厳密に考えた時に本章で取り上げる商品が真に無償であるか、といえばそうでもない場合も多い。後に分析するが、無償で提供されているものの中には他の有償の商品との抱き合わせになっているものもある。また、知名度を高めることを目的に提供されるようなものも、間接的に有償であると言っても良いかもしれない。広告収入をあげることを目的とし、受益者の支払を要求していないものもある。そのような無償性に対する疑義があることを理解した上でここでは分析対象をあえて次のように定義する。すなわち「コンピュータ・ネットワークを配送手段としているデジタル財の提供にあたって、提供者が受益者による対価の直接的な支払いを受けないまま利用することを許している事象」である。この中にはいわゆるシェアウェア、つまり対価を要求はしているが、支払わなくても少なくとも一定期間利用が可能であるようなものも含まれる。ここまで定義を広げると、インターネットやパソコン通信上で提供されているソフトウェアや情報コンテンツなどはほとんど全て対象内となる。既に膨大な数が存在し、現在爆発的に増えている。

このような広い定義を取る理由は筆者が商品そのものがデジタル(つまり0か1かという記号を電子的に記録したもの)であるものはその技術的、コスト的特性から見て無償提供をしやすく、そのしやすさがゆえに複数の異なった動機に基づく商品の無償提供を促している、と考えるからである。より具体的には本章ではデジタル財として、(1)応用ソフトウェア、(2)情報コンテンツ提供(3)情報サービスの三つを分析対象とする。第一の応用ソフトはいわゆるシェアウェアに代表される、コンピュータに機能を与えるソフトウェアがパソコン通信やインターネットの上で無償供与されている現象である。

第二の情報コンテンツは、新聞記事、音楽、映像などがネットワーク上のデータベースに蓄積され、情報提供者に対する支払いを行わずに受益者が受信できるようになっている場合である。インターネットの拡大とともに、このタイプのサービスが急拡大した。例えば日本の主要な新聞社は全てインターネット上にホームページを出し、程度の差はあれ、記事情報を出している。それらの中には、有料情報と比べて少ない情報量しか提供していないものも多いが、ポイントキャスト社など、インターネット上での記事提供を専業としている会社の中には広告収入を得ることを収益構造の柱として、大規模な情報提供を行っている。

第三の情報サービスには、ネットワーク上の第三者間をつなぐタイプのものが多い。例としてインターネット上の囲碁サービスがある。ネットワークに接続すると対戦相手を探索し、対局を行う機能を提供してくれる。(武川・國領(1995))

3.奉仕の場としてのコンピュータ・ネットワーク

なぜコンピュータ・ネットワーク上では無償の財の供給が行われやすいのであろうか?理論的な説明は可能なのだろうか?てがかりはある。ネットワーク以前にも無償の財や役務提供はあったからだ。

3.1 無償供与の理論

奉仕的なサービスが提供される理論的な説明の代表的なものはBlau(1964)に代表される社会的交換の理論である。久慈(1984)に従えば財や役務供与は次の四つの形態に分けられる。

1.

経済的取引:相手からの獲得を計算づくの供与。ただし金銭による用具的便益の獲得と決済。

2.

社会的取引:相手からの獲得を計算づくの供与。ただし金銭でないものによる用具的便益の獲得と決済。

3.

社会的贈与:相手からの獲得計算なしの進呈的供与。ただし相手からの自発的供与物を獲得。

4.

一方的恵与:みかえりの期待がない供与で実際にもみかえりがない。このうち社会的交換の範疇に入るものは(2)と(3)であるとされる。Blau(1964)の表現に従えば交換を基盤とした行動とは「報酬をもたらす他者の反応を条件とする行為」である。経済的取引のように事前にみかえりの契約がなされなくても、社会的に見返りを想定することが自然な局面で何かを供与することは、交換の一種であるとしているところが重要な点であろう。より現実に近いレベルにおいて日本では贈答文化が根強く存在していることはこの好例であろう。南(1994)は実証的に日本における社会的交換を分析している。

経済学的なアプローチからはBoulding(1973)が贈与を「両当事者の間に交換不能物の受け渡しはありうるにせよ、ともかく交換可能物がある一方向に受け渡しされているのに対し、それと反対の方向にはいかなる交換可能物の受け渡しもないような、二人の当事者の関係である」と定義している。まず動機は度外視して、観察可能なレベルで定義を行っているところが特徴と言っていいだろう。その上で動機が加味され、贈与は与え手がそれをもらう受け手の福祉と自分を一体視する「贈り物」と、恐怖の結果あるいは脅迫のもとで差し出される「貢ぎ物」とに分けられる。交換が相手からの見返りを受けて効用の増大をはかるもの、としているのに対し、相手の効用の増大そのものが自分の効用の増大である、としているところが大きな特徴である。

金子氏のボランティアをめぐる理論は交換理論が固定的な対象物の交換を念頭においているのに対して、互恵的なインタラクションを行う過程に効用が発生し、それが誘因となって無償の財やサービスが供給される現象と解釈できる。つまり提供する人間が提供することそのものに喜びを感じ、受け手からは何も期待しない、という意味で交換理論とは一線を画すものと言ってよく、Boulding の贈り物に近い概念と言ってよいだろう。社会的交換、ボランティア、顧客間インタラクションに共通する一つの現象が自発性である。社会的交換と顧客間インタラクションにおいては、交換相手と事前にみかえりの契約をすることなく、相手の自発的なみかえり供与を想定して供与が行われる。ボランティアの場合には財の供与そのものが提供者の内発的な動機によって行われている。

3.2 コンピュータ・ネットワークとボランティア

社会的交換の理論、贈与の経済学などは主として、貨幣的な経済的取引から外れた場で経済価値の供与が行われる説明として使われてきた。コンピュータ・ネットワークとの関連でこれがよく取り上げられるのがボランティアの文脈においてである。コンピュータ・ネットワークがボランティア的な活動を支えるコミュニケーション手段として有効であり、ネットワーク社会が進展するとともに互恵的な奉仕による社会の構築が展望される。阪神大震災において金子氏が指導したインターVネットワーク・プロジェクトはネットワーク上におけるボランティア組織化の一つの雛形を表したといって良いだろう。ネットワークをボランティア活動の基盤として使う手法は近年の日本海における原油流出事故の時にもいかんなく発揮された。インターネットのホームページを活用して何がどこで不足しているか、何が今問題になっているか、などのさまざまな情報が共有され、ボランティアの組織化が行われた。

デジタル財の流通について本章の分析に大きな影響を与えた研究として、佐々木(1996)のシェアウェア分析がある。佐々木によれば1996年10月時点でニフティサーブの送金代行システムに登録されているシェアウェアだけで、約3600件ある。これは有料であるものの一部であって、完全に無料であるものの方が多いことが推定されるので、シェアウェア全体では数万から十数万本あると考えるのが自然であるように思われる。佐々木はシェアウェアをプロセス・シェアリング・エコノミーという表現し、作者がシェアウェアを世に送り出すプロセスの「楽しさ」を対価として受ける経済として説明している。ボランティア経済の中から経済的な価値が生み出され、ネットワーク上で無償で提供される現象の説明として有用なものであると考えられる。

西垣氏(牧野・西垣(1996))は「インターネットとは、贈与の世界」と断定し、「インターネットには贈与経済に基づく本来の姿があるのに、そこにただ乗りするような形で至上経済のビジネスネットを作ろうとするのは、少し筋違い」と表現している。確かにインターネットには他の商用ネットワークと異なり、情報を無償で公開する研究者のネットワークとして育ってきた歴史があり、このような見方をする専門家も実は少なくない。自発的、互恵的活動が行われる一形態として筆者が研究しているのが「ネットワーク穣の顧客間インタラクション」である(國領(1997))。顧客間相互作用はマーケティングの領域である程度検討が進んでいるものであるが、ネットワーク上ではこれが質的にも量的にも拡大する。ある商品についてユーザの間で強い共感が生まれると、時にユーザは自発的に商品の普及や改良に自発的に努めているようになる現象だ。フリーソフトの多くは商業用ソフトウェアに機能を追加するためにユーザが作ったものが、他のユーザ使用のために公開されたものである。

4.商業的な意図を持った無償供与

ボランティア的な一方的恵与の世界がコンピュータ・ネットワーク上で展開されていることは事実と認めざるを得ない。そしてネットワークの発展とともに、これまでの経済の枠組みからはずれた財やサービスの供与形態が広がるという予想にも説得力がある。面白いのはそういったボランティア的な活動とともに、ネットワークでは商業主義的な動きも高まっていることである。周知のごとくインターネット上では無数のベンチャービジネスがサービスを提供し始めている。一見営利的とは見えないネットワークの上で無償供与されているものについても、背後に極めて強い営利的な目的があるようなものも多い。この世界には、小さなベンチャーだけでなく大きな会社も多く参入している。なぜそのようなことが起こるのであろうか?以下では商業的な動機を持ちながら無償でデジタル商品を無償供与している事例を分類しつつ分析してみよう。

4.1 抱き合わせ販売型

ソフトウェアの中には他のソフトウェアと連動してはじめて機能がフルに発揮できるタイプのものがある。この代表例がインターネットのブラウザソフト(インターネットのホームページを閲覧するためのソフトウェア)で、情報を公開しているコンピュータ(通常サイトと呼ばれる)がサーバソフトと呼ばれる情報公開用のソフトウェアを持っていることを前提としている。このような場合、収益をあげるべき商品の販売促進のためには無料、ないしは低価格で補完財を提供することに合理性が出てくる。(財の補完性による企業行動の分析については浅羽(1995)などゲーム理論による分析が盛んである。)古典的な例がかみそり台と替え刃の関係で、いったん台の部分を販売してしまうと、替え刃に対する需要が安定的に発生するため、メーカは台の部分を極めて安価に提供する、という行動を取る。

4.2 広告収入追求型

情報提供をおこなったり、サービスを無償で提供する場合、広告収入が目的である場合も多い。この形態のものは既に商業放送の領域で存在し、それほど新しいものとはいえないが、大衆に均一の情報を流す既存の放送に対して、コンピュータ・ネットワーク上では個人にカスタマイズした情報と広告を出すことができるところが特徴である。上述のポイントキャスト社はインターネット上で無料の放送型の情報提供を行っていることで有名である。大きな特徴として、「視聴者」が自分の望む情報の領域(例えば特定に企業)を事前に登録しておくと、それに関する情報を抜き出して送ってくれることである。同社によれば1996年2月に開始されたサービスに対して、1997年3月時点で既に100万人を越える視聴者を誇っている。月に50程度の広告主を募り、月2万ドルから5万ドル広告料金を取っているという。同社は現在アジアへの展開を始めている。

これと対象的なのは先にも述べたウォールストリートジャーナルで、年間49ドルの講読料で記事情報を公開している。紙媒体で講読している読者には割引をしているところが特徴で、既存の市場と収入を維持しながら新しいメディアに対応しようという配慮がうかがえる。広告も出している。広告収入を主たる収入源とする戦略をとった時には競争戦略はより多くの視聴者に見て貰うこととなり、どれだけ良質の情報を無料で提供できるか、というところが焦点となる。

4.3 テスト型

ソフトウェアは商品してから予想しなかった問題が出る場合が多く、商品として完成するまで無料で配布し、熱心なユーザに試して貰う、ということをよく行う。いわゆるβ 版と呼ばれるものである。これも昔から存在したものであるが、以前はメーカが指定した限定されたユーザのみがこの試験に参加したものが、ネットワークの発展とともに配布のコストが下がったため、一般の人間までがβ 版を手に入れられるようになってきた。さらに有償のソフトウェアの機能を削った「お試し版」が配布される場合も多い。

先にもふれたが、インターネット上にhttp://www.vector.co.jp というサイトがあり、2万件を超えるフリーウエア及びシェアウェアを紹介している。このサイトの面白いところは、ソフトウエアベンダに対して、フリーソフト配布用のサーバを有料で提供していることである。ソフトウエベンダーがデモンストレーション用に開発したソフトを無料で潜在的な顧客に対して提供し、そのコストはベンダ側から回収する。ベンダ側からこのサイトを利用するメリットは自前でサーバを維持しなくても良い、という点と、デモストレーション用ソフトが集積しているサイトに置くことでより多くの潜在的なユーザの目に触れることである。

4.4 顧客データベース構築型

前項の「お試し版」の配布の動機が顧客データベースの作成にある場合もある。自分の名前と電子メールアドレスだけを登録すれば、ダウンロードが可能なソフトウェアをインターネット上で配布し、その後機能拡充版の勧誘電子メールをダウンロードしたユーザに送る、といった手法である。この型のものについてはデジタル商品だけでなく、物財についても同じような現象が見られる。現在インターネットの上ではプレゼントを提供するページが花盛りである。申し込んでくるユーザの顧客属性がどんどん蓄積される仕掛けだ。

5.ネットワークの発展とその経済的機能

第3節、第4節にみる通り、コンピュータ・ネットワークの上では商業的な意図を持っている主体によってもデジタル財の無償供与がおこりやすい、ということが言えそうである。このようなことが起こる原因を筆者はネットワーク上のデジタル財提供に関わるコスト構造に見る。つまりサイバースペースにおいてはコスト的にデジタル財を無償供与しやすい条件があり、そのコスト構造ゆえにボランティア的な動機に基づく無償供与も商業的な動機に基づく無償供与も拡大しやすいのである。本節では経済空間としてサイバースペースがいかなる機能を持ち、その中でデジタル財の供給を行う上でのコスト構造がいかなるものかを分析する。

5.1 経済空間としてのコンピュータ・ネットワーク

まず、無償デジタル財が発達している背景となっているコンピュータ・ネットワーク環境について少し整理しておこう。周知のごとく、1993年にインターネットの商業利用が始まって以来、コンピュータ・ネットワークは爆発的に拡大してきた。図1は最近のインターネットの爆発的な伸びを表している。コンピュータ・ネットワークは必ずしも新しいものではなく、1950年代に開発され軍事用に使われていたものが、1960年代に民間用として使われ始め、発達してきた。開発された当初はコンピュータ同士を接続するのは困難な作業で、特定メーカの特定の機種同士しかつながらず、必然的にネットワークは事前に特定された固定的、閉鎖的なメンバーだけがつながるものであった。これに伴い、コンピュータ・ネットワークは一つの会社の中や、非常に関係が緊密な企業間のみで運用されていた。

この閉鎖的なネットワークが技術の発達と標準化の進展とともに、次第にメーカや機種をまたがって相互に接続が可能になるようになってきた。これに伴って、より広い組み合わせの会社間でデータ交換をしたいという動きになってきた。これを妨げてきたのが日本電信電話公社のみに通信事業を認める規制であったが、これも1982年に部分解禁され、1985年には全面解禁されるようになった。このように80年代から始まったコンピュータ・ネットワークのオープン化が90年代になって一気に広がった。その大きな推進役がインターネットである。これまでの特定の企業や企業グループに固有のインターフェース(通信手順)を用いた結果、ネットワークのメンバーは事前に特定された少数のみとなり、ゆえにシステムは閉鎖的なものとなっていた。これに対し、インターネットに代表されるオープン・ネットワークは標準的な方式を用いることによって、必要とあらば広く世の中の全てが接続可能な状態とすることを目指すものである。図2はネットワークをオープン性と利用者の事前特定性によって分類したものである。

クローズド・ネットワークの場合、システムによって接続される相手は必然的に事前に特定されているコンピュータである。これに対してオープン・ネットワークは事前に特定されていない相手とのコミュニケーションに使うことが出来ることが一大特徴である。(実は事前に特定されている相手とのコミュニケーションにも使え、イントラネットやエクストラネットと呼ばれており、非常に興味深いものだが、本章では特に取り上げない。)こうして、世界中のコンピュータユーザが自由にお互いのマシンを接続し合えるオープンな環境が出来上がる。

限りなくオープンに近いコンピュータ・ネットワークとしてインターネットより一足早く発達したのがパソコン通信である。パソコン通信は(1)ネットワークに参加する人間が全て運営会社と契約関係を結ぶ、(2)数多くあるパソコン通信ネットワークの相互の互換性はないなどの理由で、オープンなネットワークとは断定できない。しかし、非常に多くのメンバーを有している(大手は数百万メンバーを誇っている)ネットワークは実質上不特定のメンバー相互間のコミュニケーションを可能としており、ネットワークの中において極めてオープンな環境を提供している。オープン・ネットワーク時代の社会現象の暗示する現象が多く見られるのがこの場である。本論文中で取り上げる事象もパソコン通信上の経済現象が多い。

オープンなネットワークの誕生によって生まれるのが図2中右上上に見られる、事前に特定されていない相手とのコミュニケーションである。電話やファクスの如く、世界中のコンピュータが相互に接続可能となり、単に意思伝達だけでなく、財やサービスを運ぶ媒体となりうるようになってきている。情報やソフトウェアを作った人間誰しもが広く世界中に作品を流通させられるようになってきているのだ。経済活動を行う媒体としてのオープン・ネットワークには次の四つの機能がある。すなわち(1)広報、(2)取引処理、(3)配送、(4)決済である。具体的に何が行われるかを理解する上役立つと思われるので若干説明しよう。第一の広報には二つの側面がある。すなわち財・サ-ビスの提供者からユ-ザに対する情報提供と、その逆のユ-ザから提供者への情報のフィ-ドバックである。前者の代表的な例は広告宣伝である。後者は顧客情報を吸い上げデ-タベ-ス化するという形で最近盛んに行われている。このような活動はコンピュータ・ネットワーク以前も無料のサ-ビスが提供される大きな要因となってきたことを付言しておくべきだろう。テレビ・ラジオなどは単に広告そのものを無料で提供するだけでなく、広告以外の番組(情報コンテンツ)を無料で提供してきた実績がある。

第二の取引処理は経済行為を行う主体の間でその行為に必要な情報を交換する媒体としてコンピュータ・ネットワークを使う場合である。商業取引の場合には受発注処理などがその代表的例で、組織をまたがるコンピュ-タネットッワ-クの活用として最も早く普及してきたものである。このようなタイプのコンピュータ・ネットワークはいわゆる「取引コスト」を下げるものとして注目されてきた。Malone(1987)などはコンピュータ・ネットワークの発展が取引コストを下げることによって、従来市場外で取引されてきたものが市場取引の対象になるようになる、との説を展開した。

第三の配送手段は商品がデジタルな情報である場合に、商品の配送が物流を一切伴わないで、コンピュータ・ネットワークの上で完結する状況を指している。ここでも伝統的には放送における番組提供がこれにあたるが、コンピュータ・ネットワーク上ではこれ以外にカラオケやコンピュ-タ用応用ソフトなどが流れている。このような商品が提供者のスケジュ-ルに従って提供されるだけでなく、需要者の要求に基づいて提供されるいわゆる「オンデマンド」式に提供されているのも、コンピュータ・ネットワーク上のデジタル商品配送の特徴である。オンデマンド式の特徴は需要者が通信コストを負担している場合が多いことで、提供者は自分のコンピュ-タに商品を登録しておくと、世界中の需要者がそこまで「取りにきてくれる」ことである。配送コストが極めて低い商品提供形態が生まれている、と表現してもよかろう。

第四の決済手段としてのネットワ-クは、文字通りコンピュ-タを支払いの媒体として利用するものである。本章は無償デジタル財を主題としているので、この側面は必ずしも大きく取り上げないが、コンピュータ・ネットワークはかねてより、国際的な決済ネットワ-クとして大きく発展してきた。それがここにきてのオ-プンなコンピュータ・ネットワークの発展とともに、広く消費者や小規模事業者が決済を行う媒体として活用され始めている。

5.2 コンピュータ・ネットワーク空間のコスト構造

ここではいよいよ、なぜサイバースペース上ではデジタル財の無償の提供が行われやすいのか、という問題に対する直接的な分析を行ってみたい。結論を先に書いてしまうと、オープンなコンピュータ・ネットワークには動機のいかんに関係なく、無償でデジタル財を提供することがやりやすくするような経済構造をしている、ということだ。その要因を要約すると次の三つになる。(1)サイバースペース上におけるデジタル財の提供にあたっての変動費の低さ、(2)デジタル財を販売しようとした時の課金コストの高さ、(3)デジタル財生成にあたってのネットワーク外部性の強さ。これら三つの要因は全てデジタル財の無償供与のインセンティブを高めている、という見方である。

5.2.1 変動費の低さ

デジタル財がパソコン通信やインターネット上で提供される場合の極めて大きな特徴はそれが「少なくとも提供者にとって」変動費がゼロか限りなくゼロに近い形で提供できることだ。(この項の議論は筆者なりに展開してあり、責任は筆者にあるものの、元々は金子郁容研究室の示唆に負うところが多い。明記して感謝したい。)例えばインターネットで情報公開を行う場合、いったん自分が外から情報を取るために回線を敷設しコンピュータを設置すると、追加的な費用をほとんど必要とせずに情報提供が始められる。自分のところで設置するのが嫌で外部のレンタルサーバを借りると月数万円といったオーダーの負担で情報公開ができる。

大切なのはその後で、このようなサーバをいったん設置すると、何人がその中から情報を取り出そうが、情報提供者側には全くコストがかからないのだ。現実には情報を受ける側は通信コストなどの形でコストを支払っているかもしれないが、少なくとも情報提供者はいらない。この辺の構造はパソコン通信でも同じで、パソコン通信サービスのライブラリに自分の開発したデジタル財を登録すると、後は開発者の負担は全くなく、利用者がダウンロードしていく。

やや技術的になるがインターネットの場合には、利用しているTCP/IPという通信方式が変動費の小さい構造を作る要因となっている。同方式はパケット通信と呼ばれる技術の応用で、情報が小さな塊(パケットと呼ばれる)に分けられ、他の情報が流れていない空き回線容量を使って送られる。電話に代表される回線交換方式を使うと、いったんつなぐと、情報を流していようがいまいが、一定の回線容量を占有することになるのと対照的である。

両方式の優劣についてはこの論文の趣旨から外れるので避けるが、ここで関係があるのがTCP/IPを用いるインターネットにおける情報提供は稀少な資源を要求するユーザが増えてくるにつれて、一人あたりに割り当てる資源を小さくする(これは通常反応速度が下がるという形で現われる)ことで対応するため、資源の利用効率が極めて高くなるほか、ユーザ追加に伴う変動費用を非常に小さくする。もう一つ指摘できるのは、TCP/IP方式はパケットが通信相手に届かないことがありえ、それが起こった時には再送することで対応するようになっていることだ。同じ量の情報を伝達しようとしても、その時によって使用する通信回線の容量が異なるため、従量料金制度を取ると不公平が発生する。これによってインターネットの世界では使用量に関係なく同じ料金を取る定額制が普及している。(インターネットの技術的な特性を社会的な面を踏まえて解説した好著として村井(1995)がある。)実際には変動費が発生していても、デジタル財を提供する主体はそれを負担しない仕組みが出来ている。

定額といえば使用量に応じて定額なだけでなく、コンピュータ通信は多くの場合、通信する距離が価格と無関係である点も大きい。電話などについては距離が遠くなるにつれて料金が高くなる構造があるが、インタ-ネットなどのコンピュータ・ネットワークは隣の人間に電子メ-ルを送るのも地球の裏側に送るのと同じ料金となる。より正確に言えば、パソコン通信などは国内レベルで全国均一であり、インターネットの場合は全世界均一である。

さらに、物流を伴わないデジタル財の供給の場合、需要の絶対数だけが問題で地域的な集積が無関係である、ということもある。物流を伴う商品流通の場合には、「平方キロメートルあたりの需要の密度」、といったことが問題となる。ある程度以上需要が特定の場所に集積していないと、そこに物流拠点を構築し、配送するといったことができないからである。今日では従量・容積あたりの付加価値の高い商品などについては宅配便などの手段があって多少程度は緩和しているというべきだが、それにしてもあまり安いものは運べない。

これに対してコンピュータ・ネットワーク上では需要の総数だけ十分にあれば、需要が広い地域に拡散していても全く関係がない。例えばインターネット上で米国の経済紙であるウオールストリートジャーナル紙が提供されているが、この講読料は年間49ドルである(1997年4月現在)。この事例についてはえてして年額49ドルという絶対額に注意が集中しがちである。確かに日本の代表的な経済紙である日本経済新聞の購読料が月間で4000円を超える水準であることを考えるとこの値段の安さは脅威である。しかし、それ以上に重要なのはインターネット上のウオールストリートジャーナル紙は「世界のどこででも49ドルである」という点だ。たとえ町中に同紙を取っている人間が一人しか存在しなくても、その町にインターネットさえ入っていれば49ドルで講読できる。この特性の帰結として、コンピュータ・ネットワークにおける経済圏は極めて大きい。いったんデジタル財をネットワーク上のライブラリに登録すれば、パソコン通信であれば日本中数百万台、インターネットであれば世界中数千万台のコンピュータからアクセスが可能となる。

以上のように、基本的に変動費負担がデジタル財提供者にとってゼロか極めて小さいのがネットワーク上の流通空間の特徴であると言って良いだろう。価格メカニズムが限界費用を基礎としたものであるとすると、これは価格ゼロの世界、ということになる。このような費用構造の中ではいかなる経済活動が合理的なのであろうか?筆者は経済学者ではないので、きちんとした経済学的な定式化は専門家にまかせるとして、彼らにヒントを提供すべく、ここで整理をしておこう。

伝統的に経済学では大規模な装置産業の問題として固定費が非常に大きく、変動費が小さい構造を扱ってきた。平均費用が逓減し、市場占有率は高くなる。これはデジタル財の分野では極端にマーケットシェアが高くなるものが多い、マイクロソフトの商品、ネットスケープ社の商品などは代表例である。他にもインターネット関連の商品は優れた商品は極めて短期間に世界中のマーケットを席巻する傾向が見られる。デジタル財の費用構造の性格が従来の装置産業のそれと大きく異なるのは装置産業の場合は耐用年数の長い固定資産が固定費の中心であるのに対して、デジタル財の場合には開発費がほとんどである。アプリケーションソフトなど機能を提供するものについては商品の寿命が極めて短い場合も多い。

費用のほとんどが開発費であり、それを流通させるための変動費がほとんど発生しない、という状況で選択肢にあがってくるのが、固定費部分のみを何らかのスポンサーシップでまかない、受益者には無償で提供するという方法である。無料のテレビ番組はこの代表例であろう。より伝統的には情報という財が料金をとって提供されるようになったのは近代工業社会になってからで、印刷などの変動費を伴う媒体によって大衆に商品として提供されるようになってからだと言える。中山(1996:p.8)は著作権に関連してこのことを次のように述べている。「たとえば、源氏物語の時代においては、創作者にはパトロンがおり、創作者は複製者(当時は手書きをした者)から対価を徴収する必要性がないのみならず、むしろ他人による複製を歓迎する傾向にあった。」複製されることで多くの人間に読まれ、作者としての名声があがれば、より有力なパトロンからより多くの援助を受けられる、という構図である。写本という技術体系を前提とすると、作者にはコピーが増えることに伴う変動費はないからこれでいい。印刷ではそうはいかない。

1997年春の時点で有償か、無償かという対比で面白いのが、インターネット上のウオールストリートジャーナル紙の有償サービスとポイントキャスト紙の無償サービスである。収支についてはどちらも明らかにしていないので定かではないが、どちらも多くの読者を獲得している。先にのべたとおり、前者は年間49ドルで提供されているもので、紙媒体の新聞をとっている読者には割引サービスがある、と言う特徴をもっている。後者は読者に強制的に広告を見せることで、無料のニュースを見せるものである。

無料サービス型が強いのか、有料型が強いのか、という点についてはまだ決着がついたとはいえない。無料型の強みは当然高い普及率が得られ、それによって多額の広告収入を得ることができる可能性があることである。ただし、そこにいたるまでは赤字覚悟となり、良質のサービス提供のために必要な投資ができなくなる可能性がある。有料サービスの強みは限界利益が大きいために、いったん閾値を越えれば極めて大きな利益とキャッシュフローを確保することができ、良質のサービスが提供できるということだ。ただ、無料のサービスと有料のサービスが併存しており、その二つの質が近い場合に無償の方が有利であることは当然であり、無償デジタル財の存在によって有償デジタル財が閾値を越えることができないことも十分想定できる。

こう考えていくと、有償デジタル財が存在しうるのは、提供しているデジタル財が十分に差別化されており、同等以上の価値を持つ代替財が無償で提供されていない時に限られる、ということになる。無償のものが繁栄しやすい土壌がそこにある、といって良いだろう。

5.2.2 課金コスト

無償デジタル財の存在を説明する単純にして有力な説明として、課金コストが高いから、というのがある。確かに有料にしたくても、取るべき金額に比べて課金コストが高すぎる、という問題は大きい。5.1項で述べたとおり、オープンなネットワークの大きな魅力は全世界に散らばった極めて大きな母集団を市場とすることができることで、既に数千万台のコンピュータ接続されているインターネットの場合、市場の数%を押さえるだけで数百万人の市場、ということになる。しかも、前項に述べた理由でデジタル財の場合は単一の商品がその商品カテゴリーの中で高いマーケットシェアを確保する場合も多い。

一億円程度の開発コストを100万人に販売することで回収しようとすると一人あたり100円程度取りたてるということになる。利益を300%取っても400円ということになる。一般的にインターネット上のデジタル財の市場は比較的小額の商品を数十万から数千万単位で販売することで成立する、と言われている。このビジョンの実現のために今最も大きな課題となっているのが、小額の金額を回収する手段に適当なものがないことである。例えばクレジットカード会社にシステムを使った場合、通信料(回線料と請求書の郵便料金)だけでも100円近くかかる計算になり、とても割に合わない。

井上(1997)は1996年にデジタルコンテンツをインターネット上で提供している会社及びその調査をしている会社二十社あまりにインタビューを行い、事業者がいかなる決済手段を求めているかを調査した。その過程で現在無償提供されているシェアウェアの多くは課金コストの問題で無料となっており、さらには本来はもっと安く提供したいと思っているソフトを課金コストに見合うようにするために金額を高く設定する傾向がある、と報告している。

井上はさらにネットワーク上のマーケティング手法と課金システムの類型を分析した。図3は井上の分類に筆者なりの視点を加味して作成したものである。販売方法とその課金システムを(1)オープン型(事前に登録していないユーザでも、その場で自由に購入できる)かクローズド型(メンバー制)か、(2)都度課金(利用のたびに従量制で料金計算する)か、まとめて課金(利用度合にかかわらず月額いくら、などといった定額制)か、(3)都度決済(利用の度に決済する)か、まとめて決済(月締めなど)かによって分類している。「都度」とか「まとめて」とかいう概念がここで出てくるのは、同一のサイトからさまざまな応用ソフトやコンテンツを入手することを想定している。コンテンツの領域では一般的な状況である。

課金コストの高さを反映して、井上の調査でも都度課金をしているところは少なく、多くがまとめて課金を行っていた。都度課金を行っているところでも、都度決済を行っているところはさらに少なく、調査した中では二社に過ぎなかった。まとめて決済方式のメリットは、利用たびの都度課金の金額が小さくとも、複数回数の利用をまとめることによって、決済一回あたりの金額を大きくすることが可能であることだ。ネットワーク事業者が数多くのデジタル財提供者のために、その課金メカニズムを提供し、ネットワーク利用料金と合算して回収するメカニズムを提供している場合がある。この代表的例がパソコン通信サービスであるニフティサーブ上に提供されている課金代行サービスである(佐々木(1997))。このシステムはニフティサーブ社がパソコン通信サービスの利用料金とともにシェアウェアの料金を回収し、10%の手数料を引いて提供者に還元する、というものである。

都度課金しながら決済は何らかの形でまとめて行うという形式で、ある程度のニーズは満たされるものの、これらはユーザがそのサービスを提供しているメンバー制のサービスに加入していること(つまりクローズド型)を前提としており、メンバー制が事前登録を要求する限りにおいて市場を限定的なものにせざるをえない。これでは電子商取引の可能性は制約されたものとなる。このようなメンバー制の制約を大幅に緩和し、ネットワーク上の小額決済の切り札となるのではないかと期待されているのがデジタルキャッシュである。暗号技術を駆使することにより、偽造や複製が不可能であったり、した場合に追跡が可能にしたりしたデジタル信号を貨幣として利用しようというものである。厳密に言うと正確ではないが、「充電可能なプリペイドカード」と認識していただけるとここでの議論には十分である。カードが物理的に存在するのがいわゆるICカード式であり、ソフト的にハードディスク等の汎用記憶媒体に記録されるものもある。これまでのネットワーク上の課金コストの大きな部分が認証のため利用のたびに認証用ホストコンピュータに通信しなくてはならないことに伴う通信コストであったが、デジタルキャッシュはそれを通常の貨幣に換金する時までは、それ自身が貨幣であるがごとく取引主体間で移転させることができるため、コストが大幅に小さくなる。

このように現在、ネットワーク上の小額支払に向けた技術開発が目白押しであり、これらの少額課金の仕組みが構想通り稼動するようになると、本章の対象としている無償デジタル財が相対的に小さな存在になることもありうる。はっきり予想できるのが、小額課金が可能になると今までにない大量の有償デジタル財供給がネットワーク上で行われるようになり、無償デジタル財が全体の中での比率を下げることである。この可能性を認めつつ、筆者は課金コスト問題が解決した後にもデジタル財の無償供与という現象は絶対的な規模としては拡大していくのではないかと考えている。前節の変動費の低さや後節のデジタル財創造におけるネットワーク外部性の存在は残るからだ。

5.2.3 デジタル財創造におけるネットワークの外部性

変動費の小ささ、課金コストの二つはともにいったん出来上がってしまったものの流通コストであるが、知識の塊というべきデジタル財には、その生成プロセスに極めて大きな特徴がある。知識とは単一の個人や組織の中で内部完結的に発生するものではなく、さまざまな人間が生んだ過去の蓄積や、組織内外の個体間情報交換プロセスを通じて価値が蓄積されていく。Nalebuff and Brandenburger (1996)はこのプロセスを財の補完性という切り口で分析している。今日のデジタル財、例えば応用ソフトウェアは一つの会社が単独に全ての機能を提供するのではなく、いくつもの会社の製品が組み合わされて使われることで大きな機能を発揮することができるようになっている。

このプロセスを意識的に利用したといえるのが、オートデスク社のCAD(computer aided design)ソフトウェアである。同社はCADを図面ならどの業界にも共通して見られるプロセスを処理する部分(これを基本エンジンと呼ぶ)と各業界や各国の実状に合わせてカスタマイズしなければいけない部分とに構造化、分離し、自らは基本エンジンの部分に特化して、カスタマイズ部分を基本エンジンにつなげる部分を公開することによってサードパーティのベンダが自社のエンジンを取り込んだソフトウェアを販売できるようにした。これによって目だたない会社ながら、マイクロソフト社に続く、大ソフトウェア会社に成長したのである。

このような戦略の成功に必須の要因はより多くの優秀なベンダに自社の製品と互換性がある商品を提供して貰うことにあり、そのために必要な道具(開発ツールと呼ばれる)などは無償ないしは(無償だと無責任なベンダが現われるなら)極めて低額の料金で提供する。

3.2項でふれた顧客間インタラクションも多くの人間の知恵が相互に刺激し合い、集積するプロセス

と言ってよいだろう。森田(1997)はヒューレットパッカード社の携帯用小型コンピュータである200LXというマシンをめぐる、顧客主導の商品開発を描いている。200LXは発売当初から愛好家の中で絶大な支持を得ていたにも関わらず、メーカの手によっては日本語化されないでいた。これに対して、ユーザーがニフティサーブ上の会議室で組織化を行いつつ、日本語化ソフトを開発し、その成果物をネットワーク上のライブラリにフリーソフトとして登録したのだ。日本語化したい愛好家たちがネットワークの上で大勢集まり、自分たちのために仕事を分担して無償で日本語化ソフトとフォント(文字の表示形式)

を作り、公開してしまったのである。この成果はのちにメーカの手によって公式化され、サポートが行われるようになった。このように大勢の人間がネットワークの上でインタラクティブに協働作業を行い、独立しては意味を持たない作品を作りあげていくことが良くおこる。これはしばしばネットワーク上での著作物の著作権の帰属の問題として表面化する。中山(1996)はこの状況を以下のように記述している。...マルチメディア時代には創作的行為のかなりの部分をコンピュータが行っており、かつグループウエアの利用の場合はそれに関与した者の範囲すら明確でないことも多いくなる。結果的には著作物と等価のものが出来上がっており、それについてまったく権利を認めないというわけにいかないであろう。

しかもそれらの作品が、高度に発達した通信インフラストラクチャを介して網の目のように流通し、それが改変・利用されてさらに流通する、という状況が生ずる。ネットワークの上の会議室などで対話形式で学問上の議論が展開されることがあるが、この場合の個々の発言は概ねその発言を行った人間のものと言ってよいだろう。しかし、同時に個々の発言はそれ以前の人間の発言を受けた形で行われており、発言は文脈の中においてのみ価値が発生する場合も多い。この場合、発言集は総体としてその場の参加者すべての権利物になる、と考えてよかろう。

このように知識が集積し、相互作用をおこしつつ新しい知識が生まれる環境においては知識の生み出し手はより多くの読み手があって欲しいと願うものである。これは学者であれば共通した思いであろう。より多くの読み手に読んでもらうことによって、さまざまなフィードバックや新しい情報が寄せられ、自分の作品も改善されていく。研究のコストが研究助成という形でまかなわれていれば、読み手からはお金を貰う必要は感じない。

6.ネットワーク文化と商業文化の邂逅

6.1 矛盾する二つの力

第3節、第4節の分析は商業的な動機であれ、奉仕的な目的であれ、ネットワークの上では無償のデジタル財提供が行われやすいことを示し、第5節の分析はそれらが、(1)ネットワーク上のデジタル財提供にあたっての変動費の低さ、(2)課金コストの高さ、(3)デジタル財生産にあたってのネットワークの外部性、の三つの共通する要因によって引き起こされている可能性を示唆した。これを価格をシグナルとする市場メカニズムの問題としてとらえることも可能であろう。すなわち情報技術は市場メカニズムに対して二つの矛盾する力を及ぼしている。第一は、価格メカニズムを強化する方向である。すなわち、情報技術は市場における情報の不完全性を減らし、これまで情報流通の不完全性ゆえに「不純」であり、それゆえに市場外で取引されてきたものを市場取引の対象とする。筆者がかつて事例研究のチームに加わった中古自動車市場においても、従来は情報の非対称性が強くて、信頼が顔なじみの間でしか成立しにくく、市場が地域化していたが、オークネットという情報ネットワークを駆使する仲介事業者が生まれることによって情報が透明化、共有化され、市場が全国化した。

第二は、財としての情報は価格メカニズムではどうも律しえないようだ、ということである。情報には市場メカニズムを強化する作用があるのに、情報そのものの生産、流通には価格メカニズムが正常に機能しにくい、というところがパラドクスとして面白い。もとより情報が「公共財」としての性格を持ち、限界費用を基盤とする価格メカニズムに必ずしも適合していない、という認識は経済学にはかねてよりあったわけだが、現実には情報を運ぶ媒体が通常の物財と同じコスト構造をし、市場経済的に流れてきた。

これが広報、取引処理、配送、決済を一貫してネットワーク上で行う電子商取引が行われるようになると、情報の本来の性格が表に出てくる。さらには情報の生産のプロセスにおける外部性も大きな要因である。工業生産による物財供給体制においては、「売り手」と「買い手」の区分は明確であり、少数の作り手=売り手が多数の買い手に供給した。ところがデジタル財は、多くの人間の知恵が集積し、相互に影響し合いながら作られる時に大きな価値を生み出す。情報の産み出し手は、作った情報がより多くの他者の目にふれ、そのフィードバックを受けることによって財の質を高めていく。このような時に財にいちいち価格をつけ、流通を妨げることは非生産的、ということになる。

6.2 生みの苦しみ:ネットワーク文化と商業主義のコンフリクト

ここまでに見てきたように情報技術には市場-価格メカニズム-を強化する力と、その枠からはみ出した生産・流通システムの登場を促す力の両方を持っている。その二つは時に衝突をおこす。ここではコンフリクトの現われ方の事例を二つ紹介しよう。

<事例1>インターネット碁サーバ

武川・國領(1996)及び國領(1997b)によるインターネット碁サーバ(IGS)の研究はネットワーク文化と商業文化との間の緊張関係を記録している。インターネット上で囲碁対局ができるシステムであるIGSはアメリカの囲碁ファンの手によってシステムが開発された。ホストとなるコンピュータに対して、専用の端末用ソフトさえ載せれば世界中どこのコンピュータからでも接続が可能であり、つながったコンピュータ同士で囲碁の対局ができる。ホスト(インターネット上のホストをサーバと呼ぶ)は大学のサーバに設置され、サービスは無料で公開された。

IGSはネットワーク仲間の手作りのサービスとして発展したが、その発展ゆえにボランティア的に面倒を見ている大学関係者のシステムに載せることに限界が生じてきた。ボランティアの手だけで維持するにはコストも手間もかかり過ぎるほか、人間が流動する大学という環境のもとでは面倒を見る人間が常に同じ場所にいるとは限らないため、サーバが移転を繰り返し、サービスが安定しない心配があった。このIGSが韓国の商用インターネットサービス事業者に売却されたのは1995年のことである。

以後日本においてはIGSサービスの日本におけるマーケティングを行っている会社の手によって有償サービス化が進められたのだが、このプロセスがこの原稿を書いている段階で極めて激しいユーザの反発に遭遇している。両者の論点についてはユーザからの公開質問状(http://www.din.or.jp/̃k_inoue/IGS/inquiry.htm:1997 年5 月11 日現在)と回答(http://www.din.or.jp/̃k_inoue/IGS/pandareply.htm :1997年5月11日現在)という形でインターネット上に見られる。

反発の原因に二つある。一方は日本のユーザにのみ有償化が行われようとしており不公平だという点であるが、ここで取り上げたいのはもう一つの点、つまりユーザに「情報が公開」されないままに「もともとボランティアによって始められた」サービスを強制的に有料化したことに反発している点である。ユーザからの投書にも発生する費用をユーザで負担すること自体は肯定しながら、有料化のプロセスがサービス提供者が、コスト構造を明らかにしないままに一方的に強制してきているものであることに反発するものが多い。ボランティア的に作られてきたIGSの経緯に反するものである、という主張だ。

これに対する日本におけるIGSの運営主体であるパンダネットの回答も面白い。「私どもは株式会社でありますがこと囲碁の事業に関しましては『囲碁を』 そして特に『日本国内で』普及させたいと願いボランティアの精神で取り組んでおります。」と基本的な立場を表明しているのである。その上で「小規模なうちはともかく少し規模が大きくなればボランティアだけで運営を続けるには費用の点からも困難なのです。」と主張しているが、そうであればユーザが主張するようにコストを公開し応分の分担を求める、という形式を拒む必要はないように思われ、いささか分が悪いと言わざるを得ない。

この事例はユーザがクラブ的、互助的に発足させたサービスが次第に大きくなり、大きな付加価値を生むとともに、費用も拡大する、というインターネット上で極めて起こりやすい状況のもとで深刻なコンフリクトが生じた例であり、今後ネットワーク化の進展とともに頻発する可能性がある。その意味で注目に値しよう。より概念的には、この事例はネットワーク上のサービスの価値生産にあたっての外部性を反映したものといえる。すなわちIGSの付加価値はユーザがその上で囲碁を打つことであり、ユーザの参加なしにはネットワークの価値は全くない。逆にユーザは公共の場としてのネットワークの維持に能動的に参加するインセンティブを持っている。たとえ物理的な設備の所有権を業者が持っていようと「場」は自分達のものである、という意識が働く。良く考えると、このような関係を維持するメカニズムはコンピュータ・ネットワーク以前にもゴルフクラブなどの形で存在した。ネットワークサービスにもそのような形態が今後見られるようになるのかもしれない。

<事例2>JW-CAD

綾部・國領(1995)はCAD(computer aided design)用フリーソフトであるJW-CADがソフトウェア業界に巻き起こした波紋について報告している。官庁に勤める技術者の手によるこのソフトウェアは専門雑誌による最優秀賞を二年連続して受賞するなど、商業ソフトウェアに優るという評価を得たほどの高機能ソフトウェアである。これが、ニフティサーブ上で無料公開された。このソフトウェアの大きな特徴はユーザによる支持を得て、ボランティア的なユーザサポートの輪を作ったことである。これは筆者が「顧客間インタラクション」(國領(1997a))と呼ぶもので、ネットワークの上ではかなり広範に見られる。製品の使い方についての疑問やトラブルへの対応を、製品の製作者ではなく、ユーザがお互いを助け合う形で行う。ボランティア的に提供されているものだけでなく、商業的に売られているものにもこれがかなり大規模に発生していることがある。顧客間インタラクションによるユーザサポートはしばしば商業的な製品提供者のサポートを凌駕する顧客満足を生む。結果としてフリーソフトなど、提供者が必ずしもきちんとしたサポート体制を取れないものでも、顧客間インタラクションが存在することで、高い顧客満足が得られることがある。JW-CADはその好例となっている。

無償の優秀なソフトウェアの存在は既存のソフトウェア業者にとっては、極めてやっかいなことであったことは想像に難くない。事実、JW-CADに対しては業界団体を中心に問題として取り上げられた。しかし、商業的なソフト業者が製品に品質保証がないなどの点を指摘してJW-CADに対する攻撃を強めると、ユーザコミュニティから強い反発が出た。パソコン通信の会議室や雑誌の投稿欄などに反論が多く寄せられ、商業なパッケージも計算結果に起因する損害は補償しないこと、顧客間インタラクションによるユーザサポートが商業的ソフト業者のサポートに必ずしも劣るものではないことが浮き彫りにされ、JW-CADに対する攻撃は逆にその優秀性を際立たせることになった。結局このコンフリクトはフリーソフトがほぼ全面的に受け入れられる、という結果になった。

さらに話を複雑にしたのは、ある雑誌がJW-CAD特集を組み、このソフトの使い方を解説した上で、ソフトウェア自体をフロッピーで添付したことである。これは最近ではCD-ROMを用いてよく行われる現象だが、ネットワーク上では無償で流通しているソフトウェアを業者が物理的な媒体に記録し、有償で配布する。この現象はネットワーク上のソフトウェア無償流通の性格を端的に表しているものといえよう。ネットワークで流れる時、デジタル財の供給は提供者にとって変動費ゼロである。さらに、ユーザが自家用に作成し、固定費を回収ずみの財については無料で公開しても何の損失もない。これに対して物理的な媒体で流す場合には製造コスト、流通コストなどの形で変動費が発生するので、たとえ利益を全く求めていなくても、何らかの形で価格をつけ、無制限なただ乗りを防がなくてはいけない。

6.3 新しい協働のアーキテクチャを求めて

本章の冒頭に述べたように、ネットワーク上に展開されつつあるボランティア経済と商業経済を対立的にとらえる見方が一般的であり、6.2項の事例などを見ても二つの世界は時に激しい摩擦を起こすことが分かる。この論文のロジックに即して言えば、IGS は、ユーザ同士のインタラクションというネットワークの外部性をフルに活用する開発を行ってきたデジタル財に対して、価格をつけるとき、方法を間違えると、肝心のネットワークの外部性をそこなってしまうことがあるという例と解釈できよう。JW-CAD は、開発費の回収が、内面的な価値によってまかなわれてしまうことがあり、これが商業的に開発をしようとする事業者の利害と鋭く対立しうることを示している。

しかし、同時に現実のネットワークの上では二つの原理が奇妙に仲良く同居している場合も多いことを最後に強調したい。これは特に応用ソフトの領域で顕著である。前述のhttp://www.vector.co.jp (1997年4月現在)を見ても、シェアウェアとフリーウエアが同列に並んでいる。どれがボランティア的なもので、どれが商業的なものかの区別はつかない。有料のものでもコスト回収のみを目的とし、利益を追求しないタイプのものもあるように見受けられるし、無償のものでも将来の有償化や、抱き合わせなど別の形の利益を求めて提供されているものもある。

さらには筆者が「顧客間インタラクション」という視点で研究している事例の中には、顧客が商業的な商品をめぐって活発な相互扶助を行い、メーカを助けている場合が見られる。5.2.3で紹介したHP200LXの事例などでは、顧客が200LXの機能を向上させ、商品価値をあげるような日本語化キットを自主的に開発し、無料で公開してしまった。ハードウエア(物財)をめぐる商業的な世界と、ソフトウエア(デジタル財)をめぐるボランティア的な世界が相互補完的に隣り合わせになっている。

ボランティア経済と商業経済を対立的にとらえる考え方では、無償ソフトなどの世界において、その二つの現象が共存し、ともに拡大する傾向にあることがどうしても説明できない。筆者は二項対立的な見方に対して、営利的な経済活動も、奉仕的な経済活動も、どちらもが人間が協働するメカニズムであり、その調整メカニズムが異なるに過ぎないと考える立場を取っている。この二つの世界がどのような形で統合していくのか、まだ予断を許さない状況である。

無償供与の事例ではないが、プラネットの事例(竹田(1997))はネットワーク上においてボランティア的な要素と商業的な要素をうまく調和させている例として注目に値する。プラネットは日用雑貨業界においてメーカ/卸間の電子データ交換のインフラストラクチャを提供している会社である。業界トップである花王が独自のネットワークを構築し、強力な流通体制を構築したのに対抗して、他の大手メーカが大同団結して作られたという経緯を持つ。相対的に小さなマーケットシェアを持つ会社が共通でオープンなネットワークを持つことによって、囲い込み型のシステムに打ち勝とうというのだ。その意味で業界VAN ながらも厳しい競争原理にもさらされてきた。

プラネットは経営の効率性と意思決定の迅速性を確保するために(他の業界VAN の多くが第三セクターなどの公的な形態を取っているのに中で)あくまで民間出資の株式会社の形態をとっている。出資者はユーザであるメーカと通信事業者である。必ずしも経営的に成功しているVAN ばかりではない中で、プラネットはかなり高い顧客満足と経営的成功を収めている。1997年時点で参加メーカの数が急激に増加し、最大のライバルと目されていた花王がついにプラネットに参加する意思表明を行うところまできている。

プラネットの大きな特徴が利益はユーザであり、出資者であるメーカに還元する方針をとっている。ユーザが出資者であるというガバナンスの構造があるがゆえに取れる方針だが、営利的な目的を持つ会社がネットワーク上で協調行動を取り、経済全体にとってより効率的なシステムの運用を行いえている例と考えて良いだろう。奉仕的な原理と商業的な原理が組み合わさり、関係者のほぼ全てに高い満足を与えていると評価できる。プラネットの事例はほんの一例であり、全てがそんなにうまくいくかどうかは分からない。プラネット自身も微妙な力関係の均衡の上に成り立っているともいえ、その成功が永遠に保証されているわけでもない。矛盾が解決しているとはまだとてもいえない。

そんなことを心配する前にこれがどれくらい大きな問題であるかもわからない。本章で分析したようなボランティア性と商業性の緊張関係はごく一部の業界に見られる特殊な現象で取るに足らないと割り切ることもできる。ただ、筆者自身は今後、経済のソフト化が進むにつれて、本章に分析したような既存のフレームワークでは捉え切れないような経済現象が増加し、社会的に大きな意味を持つ日が来るであろうと予測している。この論文がその日が来た時に慌てないように理論的な準備をするきっかけを作ることを祈念している。

<参考文献>

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竹田陽子(1997),「株式会社プラネット」,慶應義塾大学ビジネススクール事例研究

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武川善太・國領二郎(1996), 「インターネット碁サーバ(IGS)」慶應義塾大学ビジネススクール事例研究

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Hewlett Packard 200LX Palmtop PC

オープンイノベーションとコミュニティ主導開発の分析 / 森田正隆・國領二郎教授

Hewlett Packard 200LX Palmtop PC本ケースは、慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程森田正隆が國領二郎助教授の指導の下に公表資料およびインタビューに基づき作成したものである。クラス討議での使用を目的としたものであり、特定の経営管理上の適切あるいは不適切な状況を例示しようとするものではない。(1997 年5月作成)「今、私の前には1 台の理想のコンピュータがあります。(中略)手に入れて以来、私の生活は大きく変わりました。」(関谷, 1995)

1 ユーザが育てたHP200LX Hewlett Packard 200LX(以下HP200LX)。多くの熱狂的ユーザを持つ手のひらサイズのパソコンである。手元にあるその製品カタログには「ユーザが育てたHP200LX」と大きな文字でタイトルが打たれている。はたしてユーザが「育てた」とは何を意味しているのであろうか。それは単に、熱心なユーザ同士の口コミを通して製品の知名が広がり人気が高まっていったということなのか。それとも…。

2 HP 社パームトップPC の歴史HP200LX の生い立ちについて正確に語るためには、米国Hewlett-Packard Company(以下HP 社)の電卓製品事業にまで溯らなければならない。

2.1 HP ビジネス電卓

電卓というと大抵の人はカシオやシャープといったブランドを思い浮かべることだろう。しかし、世界のビジネスマンの間で「金融電卓」といえば、それはHP 社の電卓「HP12C」を意味する。世代交代の激しいこの分野において、HP12C は十数年モデルチェンジをすることなくいまだに第一線で活躍している(FMODEM 携帯端末研究会, 1994、以下F 携研)。MBA(経営学修士)コースで学ぶ学生の多くが一度はこの電卓を手にするともいわれており、様々な財務計算や損益計算がこれ1 台で可能となっている。厳しいカリキュラムで知られるMBA 学生が、徹夜でキャッシュフロー計算や統計計算に取り組むときの最良のパートナーがこのHP12C であったことだろう。

もちろん、企業の財務担当者や金融関係のビジネスマンにとっても、金利計算やキャッシュフロー計算のツールとしてHP12C は広く受け入れられていった。あまりにもポピュラーな製品となってしまったために、HP12C の金利計算誤差が世界の金融計算の標準誤差になってしまったという神話(F 携研, 1994)すらあるほどである。その後、HP 社はPIM 機能を内蔵した「HP19B」をラインナップに追加する。今となってはやや大袈裟な印象を受けるが、その製品には「ビジネスコンサルタント」という名前が冠されていた。PIM とは、Personal Information Manager の略で、個人情報管理のことである。具体的にはスケジュールや電話帳、個人的メモなどの管理がこれにあたる。単に数値計算のみならず、ユーザの個人情報管理にまで踏み込んだという点で、この製品がその後のパームトップPC の先祖といっても差し支えないだろう。

2.2 HP95LX

次期ビジネス電卓の仕様を検討していたHP 社は、表計算ソフトを内蔵することを新製品の目玉にしようと考えていた。偶然にも同じ時期、ベストセラー表計算ソフト「1-2-3」のメーカーである米国Lotus Development Corporation(以下ロータス社)もPIM 機能をもつ「携帯版1-2-3」を検討しており(F 携研,1994)、同社はいくつかのハードウェアメーカーに提携を打診していた(寺崎, 1997)。

その中でHP 社はいち早くこの申し入れを受諾し、両社は共同で開発作業に入った。そして、1991 年4 月、最初の製品「HP95LX」がこの世に送り出された。95LX は次に示す画期的な特徴を備えていた。

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定評ある金融電卓機能

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PIM 機能(スケジュール、電話帳、メモ)

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表計算ソフトLotus1-2-3 内蔵

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超省電力(一般的な使用形態であれば単3 乾電池2 本で数週間の使用が可能)

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グラフィカル・ユーザ・インターフェース(GUI)の採用

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タスク切換機能(複数のソフトを起動したまま切換えながら使用できる)

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光通信機能

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ポケットに入るサイズ(16×8.64×3.54cm、312g)「個人情報管理と高度な計算業務が、ポケットに入るこの小さなマシン1 台でできる」。その明快なコンセプトが、数字や情報を駆使する都市型ビジネスマンに強くアピールした。テーブルの上や外出先で、つまり会議の席上や商談相手の目の前で表計算ソフトや金融電卓機能が使え、しかもそのソフトを立ちあげたままでスケジュールや電話帳も参照できる。数字を扱いながら交渉することが多いセールスマンや金融系ビジネスマンたちが小躍りしてこのマシンを手に入れた姿が想像できよう。

このように、95LX は高級電卓の延長線上で開発されたにもかかわらず、そのインパクトはパソコンを使用する幅広いビジネス・ユーザをも魅了した。しかし、開発チームはその仕様に十分には満足しておらず、ネーミングの「95」は満足度95 点の意味だともいわれている(F 携研, 1994)。

2.3 HP100LX

95LX にあきたらなかったHP 社電卓事業部開発陣は次期モデルの開発に着手した。その目標は、以下の通りであった(F 携研, 1994)。

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IBM-PC との互換性を改善する。

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画面の表示能力を高める。

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バッテリー寿命をさらに延ばし、かつ処理速度を改善する。

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光通信速度を向上させる。やがて、開発された製品の完成度に満足したHP 社は、93 年4 月、「HP100LX」の名前で同製品をこの世に送り出した。オプションを含めると1000 ドル近い価格にも関わらず、100LX は飛ぶように売れた。「ポケットに入る1-2-3 マシン」というコンセプトがビジネスマンの間に広く受け入れられるとともに、税金計算の観点から毎日の支出明細を記録する必要のある人々がこぞって購入したといわれている。さらに、電子メール・ソフト「cc:メール」を内蔵したことで、「携帯メール・マシン」としても注目を浴び、95LXよりもさらに幅広い需要層を取り込むことができた。ビジネスマンのデータ・バンクとして、高度な計算ツールとして、情報管理ツールとして、携帯電子メーラーとして、あるいは携帯パソコンとして、多彩な性格を小さなボディにぎっしり詰め込んだ100LX は、開発陣の期待通り「100 点」の冠を戴くのにふさわしい製品であったのかもしれない。

ここにいたって100LX はもはや「高級電卓」の域を越え、「携帯情報端末(PDA; Personal Digital Assist)」としての道を歩み始めることとなった。

2.4 HP200LX

94 年6 月、HP 社は「HP200LX」を発売し、LX をさらに洗練されたマシンへと仕上げることに成功した。細かな改良点を数多く含むとともに、家計簿ソフトのベストセラー「Quicken」を内蔵することで、ユーザの期待に応えた。発売日には販売店の前に長蛇の列ができ、その光景がマスコミで報じられた。3 ヶ月単位でモデルチェンジがおこなわれるPC 業界において、その後もLX シリーズは驚異的なロングセラーを続け、真っ向から対抗する商品が他社から発売されることもなく現在に至っている。

3 極東での思わぬ展開

3.1 消極的なマーケティング

LX シリーズは、英語圏のビジネスマンを対象として開発された商品である。もともと電卓にマルチリンガルの発想はなく、それは「HP 金融電卓」においても同様であった。また、税金計算や財務計算に最適という位置づけは、欧米系のビジネスマンには受け入れられても、アジアとくに日本のビジネスマンにはなじみ深いとはいえないだろう。さらに、HP 社の日本子会社である横河ヒューレットパッカード(株)(以下YHP 社、現日本ヒューレットパッカード(株))の試算では、日本仕様の商品を提供するには、一から開発し直すのと同じぐらいの費用がかかると分かったため、投資採算の理由から日本独自モデルの投入は断念された(小林, 1995)。

よって、日本においては、日本語対応をすることなく、英語モデルのまま売り出し、あえて大きな販売量は期待しないということに決まった。ターゲットは、これまで金融電卓を愛用してきた少数の日本人たちか、あるいは駐在の外国人ビジネスマンに限定されたことであろう。その結果、YHP 社は、LX シリーズに対しては消極的なマーケティング活動しか展開しなかった。下記にその消極ぶりを示す(小林, 1995)。

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専任の社員は1 人だけ

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年間の販促予算は200 万円程度

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添付のマニュアルすらも日本語訳は用意しない

3.2 先端的ユーザが熱狂

しかし、HP 社が電卓の延長線上で考えたときには予想もしなかった潜在顧客が当時の日本には存在していた。パソコンの「先端的ユーザ」たちがそれである。彼らは時に、「コンピュータおたく」などと呼ばれたりもするが、その呼称は彼らの本質をあらわしていない。彼らは好奇心が旺盛で、なおかつ実証的精神を備えたユーザであり、判断力と行動力を兼ね備えたオピニオン・リーダー的な人たちである。先端的ユーザの多くは、大学生や研究者、あるいは企業の情報システム部門に従事する会社員などであったが、仕事の内容に関わらず、コンピュータの個人利用に関しては最先端を走っていた。パソコン雑誌の編集者たちとも交流があり、パソコン通信を中心とした電子的ネットワークを通じて交換される彼らの意見は口コミ以上の大きな影響力を持っていた。また、ネットワーク上のコミュニケーション活動においては、自分たちの手でパーソナル・コンピュータの環境を改善していこうという意欲が強く充満しており、フリーソフトの開発や紹介が活発に行われ、互恵的あるいは互助的ともいえるある種のコミュニティが形成されつつあった。

そのような先端的ユーザの一部はいち早くHP95LX を手に入れるや、そのコンセプトの素晴らしさに感激し、「日経MIX」や「NIFTY-Serve(ニフティサーブ)」などのパソコン通信ネットワークを通じてその知名を広げていった。92 年1 月にはニフティサーブ上に、YHP 製品を愛用するユーザたちの交流の場である「YHP ユーザーズ・フォーラム」が誕生し、常設の情報交換の場として機能し始めた。なお、少し用語を解説しておくと、「フォーラム」とは共通の関心をもつ会員が集まる電子上の広場のことである。そこには「電子会議室」や「データライブラリ」などがあり、フォーラムのテーマに沿った情報交換や会員相互の交流がおこなわれている。データライブラリにはフリーソフトをはじめとする各種ソフトウェアや情報ファイルなどが会員自身の手によって蓄積されており、フォーラムの互恵的な性格の一端を担っている。

さて、95LX を手に入れた先端的ユーザの中には、英語機能を駆使して肌身離さずLX を持ち歩く人たちもいたが、大半の人の願いは「このマシンで日本語が使えればなあ」というものであった。当時を知るNORI 氏(NIFTY-Serve FHPPC フォーラムSYSOP(運営代表))は次のように語っている。なお、「NORI」とはいわゆるハンドル・ネームであり、ネットワーク上で使用される一種のニックネームのことである。また、FYHP フォーラムから分離独立して94 年9 月に発足したFHPPC フォーラムは、HP200LX を初めとするHP 社小型PC 製品や電卓製品のユーザーズ・フォーラムであり、現在多くのユーザによる交流や互助的な活動が活発に行なわれている。

『もともと仕事の関係で機械の制御に使うため、コンピュータのプログラムを書いていました。一方、アウトドアの趣味があったので、外でもプログラミングができる小さな機械がないかと探していました。91年当時、ようやく手の届く価格でラップトップのパソコンが出てきましたが、重さやバッテリ寿命の関係でとても屋外での使用に耐えうる代物ではありませんでした。そんな時にたまたま雑誌の記事で95LX を見て、MS-DOS が動くということを知り、これだと思いました。当時、Lotus1-2-3 はソフトだけで10 万円以上していましたが、95LX は1-2-3 を内蔵していて10 万円くらいの値段だったと記憶しています。1-2-3 を買ったら95LX がついてきたと考えれば安いものだと感じました。しかも野原で寝転がってプログラミングができるというのはLX 以外にはなかったと思います。しかし、英語しか使えないというのはつらかったですね。日本語の文字と違ってアルファベットはどうしても目にパッと飛び込んでこないんですよ。しかも、周りにはLX のユーザがいなくてさびしい思いをしていたのですが、その後、ニフティのFYHP フォーラムでかづひ氏と知り合い、95LX 上でのプログラミングの話などをするようになりました。』

3.3 ユーザが勝手連方式で日本語化ソフトを開発

92 年になると、ネット上に95LX 用日本語対応ソフトがいくつか公開され始めた。Santa氏作のKTYPE(日本語表示ソフト)やmani 氏作のjmemo(日本語エディタ;日本語入力ソフト)などがそれである。これらのソフトには制限事項が多く、実用上の問題点も多々あったが、95LX のディスプレイに日本語が表示されたというだけでもユーザの胸をときめかせるには十分であった。そして、ネットワークを通じて知り合ったNORI氏やかづひ氏といったLX ユーザたちの間において、さらにソフトを改良していくことで「自分たちの手でLX を日本語対応させていこう」という気運が生まれてきた。

FYHP フォーラムにおいて活躍する彼らの周りには自然発生的に同好の士が集まり始めた。やがて、NORI 氏やかづひ氏を中心としながら、ユーザたちは自発的かつ自主的に仕事を分担し、次のような各種ソフトを共同作業で生み出していくことになる。

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日本語表示・入力ソフト

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日本語エディタ(簡易ワープロのような文章入力・編集ソフト)

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日本語フォント(ドットで表わされる日本語文字のこと)彼らの活動が驚異的なのは、その活動のすべてが無償でおこなわれたということはもちろんのこと、開発作業自体の難易度が非常に高かったということにある。当時、HP 社はLX の内部ROM の仕様を公開しておらず、彼らはまずROM に内蔵された基本プログラムの解析から作業を始めなければならなかった(寺崎(1997))。プログラムの仕様はもちろん、開発ツールや開発言語などを与えられてスタートする通常のソフト開発とは違い、「解析」という困難な前段階の作業が要求されたのである。暗闇の中を懐中電灯一本で進むような開発作業は、異常なまでの根気を要求したが、ソフトは着実に形をなしてきた。

日本語表示・入力ソフトや日本語エディタといったソフトは主にNORI 氏とかづひ氏が手がけた作品である。一方、日本語フォントの作成は地道で労働集約的な作業を要求するため、多くの人手を必要とした。93 年の2 月、NORI 氏が呼びかけた「恵梨沙フォント(8×8 ドットの漢字フォント)」の作成プロジェクトには、多くのメンバーが参加し、最終的には30 名を超える人数が携わったことになる。その辺の経緯をNORI 氏は次のように語っている。

『当時、著作権フリーで使えるフォントがなくてみんな苦労していました。自分のパソコンなどからコンバートして使っていた人が多いと思うのですが、それを他人にあげることはできない。著作権の侵害になるからです。ないなら作っちゃえと思ったんですが、作業の大変さを本当にわかっていたらやらなかったと思います。山の高さを考えていたら登れないという感じでしょうか。結局、呼びかけに応じてメンバーが集まり、YAFO さんがフォーラム上での進行管理を引き受けてくれたおかげで徐々にフォントが出来上がっていきました。今でも不思議に思うのは、誰に強制されるわけでもなく、各自が自発的に「私はここからここまでやるよ」「じゃあ僕はこっち」といった雰囲気で作業が進行していったことです。いわゆる会社組織では考えられないことですよね。まぁ、もちろんYAFO さんが締め切りなどを上手に管理してくれたからうまくいったんですけど。』そして、93 年には、一連の日本語化ソフトがネット上で無料公開されていき、日本におけるLX 人気は着実に上昇していくことになる。仮に大手ソフト会社が同様の開発をおこなったとするならば、ゆうに数千万円を超える費用がかかったのではないだろうか。さらに、解析という作業の特殊性を考えるならばコスト見積すらまともに取り合ってくれる会社がいくつあっただろうか。また、開発後のサポート義務まで考えれば、引き受けることに二の足を踏む会社がほとんどであっただろう。

3.4 活用本の出版

ここまでの日本語化ソフトの開発作業はすべてユーザ側でおこなわれたものであり、YHP 社は一切関知していなかった。それどころか、前述の通り、YHP 社は受身のマーケティング姿勢であり、同社のLX シリーズ担当者はせいぜい一人、主要な取扱い店も首都圏で数軒程度という状態が続いていた。たしかに95LX は2 年間で1000 台程度しか売れなかった(小林, 1995)。しかし、100LX では会社がほったらかしにしているのに、売れはじめるいう現象が起こり始めていた。

93 年11 月には、「PC WAVE」と「月刊ASCII」という二つのパソコン雑誌にLX 紹介の記事が掲載された。とくに、月刊ASCII はパソコン・ユーザに対する影響力が非常に大きい定番的メディアの一つであり、しかも記事だけでなく、添付のフロッピーディスクにはLX 用日本語化ソフトが収録されていた。この時はじめてLX の存在が広くパソコン・ユーザ層に知れ渡った。また、94 年4 月には、LX ユーザの清成啓次氏、北角権太郎氏が中心となり、「HP100LX 徹底活用ブック」という書籍が出版された。日本語化ソフトのフロッピー・ディスクを添付したこの本は、出版元の当初見込み4000 部を大きく上回る1 万8000 部を発行することになった(小林, 1995)。

ここにおいて、LX 日本語化ソフトの入手方法がネットワーク経由以外にも定常的に確立することになり、100LX の購入予備軍は大幅に広がった。

3.5 YHP 社が日本語化ソフトを公認、200LX 発売へ

そして、ついに94 年9 月、YHP 社はHP200LX 発売の記者会見において日本語化ソフトを公認することになった。YHP 社の社長、本部長が居並ぶ中、本名も肩書も明かさないままNORI 氏がユーザ代表として列席した(小林, 1995)。席上、NORI 氏は3 年間にわたる日本語化の活動を報告した。YHP 社の甲谷社長もそれに応えて、「LX のユーザは、我々企業に代わって商品拡販の地盤づくりをしてくれた」と感謝の意を表した(小林,1995)。

さらに、北角権太郎氏が社長を務めるオカヤ・システムウェア(株)が一連のLX 日本語化ソフトを一部改良して「HP200LX 日本語化キット」という製品にまとめ、その販売とサポートに乗り出すことが決まった。これで、外部企業提供のソフトウェアとの組み合わせではあるが、LX は正式に日本語対応の商品となった。このことにより、それまで法人ユーザ開拓にとってネックであった「フリーソフトを使用しなくては日本語を使用できない」という問題点がクリアされた。

一般にフリーソフトが商業化され、有料化されるとき、一悶着起きることがある。無償で開発した作者はもちろん、要望や意見を出すことで間接的にそのソフトの成長に貢献したと自負する人たちの中から、否定的な意見が出てくることも多い。「日本語化キット」の場合もそのような反応は皆無とはいえなかったが、ほとんど大多数の意見は「正式商品化でより多くの人が200LX を利用してくれるようになるだろう、本当にうれしい」というものであった。これは、販売元の会社が基本的には開発者の意見を尊重したことと、その後もオープンな姿勢を取り続けたことがよい結果を生んだといわれている。

3.6 YHP 社の看板商品に

95LX の時には2 年間で1000 台しか売れなかったものが、200LX が発売されるや月間5000 台もの注文が舞い込むようになった(小林, 1995)。品揃えの一つとして並べていただけのLX シリーズがYHP社の戦略商品となったのである。従来、日本においてHP 製品といえば、「業務用」の「高価な」商品というイメージが強く、計測器などの分野では圧倒的なブランド力を持つものの消費者向け製品ではからっきし弱かった。北米ではレーザープリンタやインクジェットプリンタなど消費者向けの商品が育ち、確固たるブランドを築いていたものの、日本市場ではまったくお寒い状況にあった。

そのような中、ハイテク市場における強力なオピニオン・リーダーである「先端的ユーザ」たちがこぞって「HP200LX はすばらしい」と声をあげ始めたのである。彼らの間では「もはやこの製品は手放せない」との意味で、「電脳パンツ(F 携研, 1994)」という最大級の賛辞が贈られた。彼らが「自分はHP ファンである」と公言することの商業的価値は計り知れないものがある。なぜなら、先端的ユーザたちの背後には物言わぬフォロワーが無数に控えているからである。日本においてHP 社が消費者製品の拡販をはかる足がかりはここに築けたのである。

3.7 続々と登場するLX 向けフリーソフト

「日本語化キット」の完成をもって、ユーザの開発作業は終了したわけではない。LX のユーザが増えるにつれ、腕の立つソフト作者がぞくぞくとネットワーク上に参加しはじめた。「愛着のある製品のユーザ層が広がっていくことはうれしい」という初期ユーザたちの想いは、爆発的に増える多彩なフリーソフトの出現という面で、実質的にも報われることになったのである。現在、ネット上で公開されている主なフリーソフトを紹介しよう。

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鉄道路線検索プログラム

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英和・和英辞書ソフト

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通信ソフト

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印刷ソフト

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音楽演奏ソフト

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バッテリー監視ソフト

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各種データベース(地下鉄、ホテル、映画館、など多数)

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ゲーム(麻雀、オセロ、カード、など多数)

3.8 ハードウェア改造(倍速化、爆速化、メモリ拡張)

メーカーの思いも及ばない行動力を発揮するユーザ集団は、ソフトの世界だけでは物足らず、今やハードウェアの改造にまで手を伸ばしている。200LX の水晶発振子を取換えて処理速度を2 倍にする「倍速化」はもはやポピュラーな作業となり、あるユーザ集団が水晶メーカーに直談判して特注の水晶発振子をロット発注したという話は今や神話化している。その後、この作業は商業化され、「倍速化請け負います/倍速済の製品置いてます」という販売店も秋葉原にはある。200LX ユーザの多くはこの改造をおこなっているともいわれている。最近では倍速化を超える「爆速化」という2.2 倍速の改造も報告されており、その改良意欲はとどまるところを知らない。

また、メーカー未公認の内蔵メモリ増設もおこなわれており、このメモリ自体もやはり特注で半導体メーカーに作らせたものである。ユーザ改造による6 メガバイトのメモリを搭載した200LX がはじめて日本に登場したのは95 年10 月のことであった。一方、米HP 社が4 メガ仕様の200LX を追加発売したのはそれから1 年以上たった97 年2 月のことである。本場アメリカのLX ユーザの間でも、「最も進んだLX は日本(のユーザたち)が開発している」との評判が広まっているほどである。

4 これからのパームトップPC 97 年2 月、HP 社は「HP300LX/320LX」の発表をおこなった。この夏に発売される予定のその製品はOS(基本ソフト)に米国Microsoft Corporation(以下マイクロソフト社)のWindowsCE を採用しており、これまでのLX シリーズとは明らかに一線を画する。独自路線を歩んできたLX シリーズがマイクロソフト社のPDA(Personal Digital Assist)戦略にすりよる形になっており、ユーザは期待と不安の入り混じった気持ちでこの発表を聞いた。競合他社も同様のCE マシンを発売してくるのは言うまでもなく、おそらく日本のPC メーカーがこぞって参入してくるだろう。ソフト面での差別化が困難なWindowsCE マシンでどのようなマーケティングをおこなうのか。HP 社の戦略が注目される。

[参考文献]

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FMODEM 携帯端末研究会『HP100LX 徹底活用ブック』ビー・エヌ・エヌ,1994 年4 月5 日

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関谷博之・濱田宏貴『HP100LX/200LX BIBLE』ソフトバンク,1995 年2 月20 日

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関谷博之・濱田宏貴『HP100LX/200LX SOFTWARE BIBLE』ソフトバンク,1996 年5 月1 日

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小林佳代「無償でソフト開発から販促まで 先端ユーザー集い企業と”共同”」『日経ビジネス』1995 年1 月9 日号,pp.90~93.

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寺崎和久「HP200LX 日本語化キット開発秘話」『DOS/V POWER REPORT』1997 年4 月号,pp.187~190.[インタビュー]1997 年4 月12 日、NORI氏にインタビューを行った。多くの情報を得るとともに、ケース記述に関して貴重な示唆をいただいた。記して感謝したい。Copyright (C) 1997 KEIO Business School, Masataka Morita, Jiro Kokuryo

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📖 連載ドキュメンタリー&インタビュー(全6回)

HP200LXの回顧録

日本語化キット誕生の軌跡、熱狂したコミュニティ、そしてオカヤ・システムウェア北角権太郎氏インタビュー

連載 第1回 Pages 4 - 9
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LXとの出会いと日本語化への軌跡

黎明期の情熱とコミュニティの誕生 / インタビュー:NORI氏(ニフティサーブ FHPPC 初代シスオペ)

第1回 LX との出会いと日本語化への軌跡

TEXT:寺崎和久、関谷博之この連載は、HP 95/100/200LX というアメリカ生まれのマシンが、ユーザの手で日本語化され、それが市販ソフトとして発売されるまでを追ったものである。まるでパソコンの黎明期のように、LX ユーザはなにもかもを自分たちの手で作ってきた。その熱気あふれる歴史は、LX を知らない人にとっても興味深いものだと思う。 前回予告したとおり、今回は HP 95LX(以下95LX)の日本語化の歴史について紹介する。日本語のマニュアルさえついていなかった95LX で、どのように日本語を表示させ、どのような経緯で日本語エディタやfep が作られたのだろうか。

■HP 200LX とは?

Microsoft が去年の9 月に発表した「Windows CE」の登場で、今年はモバイルコンピューティングが一気にブレイクしそうだ。しかし、Windows CE 誕生の何年も前から、地道に使われ続けている携帯パソコンがある。それが本連載の主役、米Hewlett-Packard 社(以下HP 社)のLX シリーズだ。LX シリーズは、初代の95LX にはじまって、100LX、200LX と世代交代してきたが、その設計思想は一貫している。筐体の小ささと長時間の動作を実現するために、高速なCPU、カラー表示、大容量ディスクなどは思い切って切り捨てるというやり方だ。それにもかかわらず200LX が快適に使えるのは、このハードの仕様に合わせてソフトが作り込まれているからだ。

それでは、200LX の特徴を簡単に紹介しておこう。

▶●ポケットにむりなく入る大きさと重さ

200LX の最大の特徴は、パソコンの機能を手のひらに乗る大きさに凝縮したことである。大きさは幅16×奥行き8.6×厚さ2.54cm で、重さは312g しかない。サブノートでさえ毎日持ち歩くのはつらいが、200LX なら常に携帯するのも苦にならない。

▶●乾電池で長時間動作

単3 アルカリ電池2 本だけで、200LX は約20 時間も動作する。ノートパソコンの多くが2 時間程度しか動作しないのと比べると、驚異的なバッテリー持続時間である。しかも、乾電池はコンビニエンスストアや駅の売店で簡単に手に入るので、出先で不意に電池が切れても心配ない。さらに普通のノートパソコンと違い、電池交換のあともリブートなしに、先ほどまで続けていた作業を続けることができるのだ。

▶●完成度の高いPIM ソフト

200LX は、スケジューラ、住所録、データベースなどの個人情報管理ソフト(いわゆるPIM=Personal Information Manager)を標準で搭載している。これらは、電子手帳の同種のソフトと比べても、抜き出た使いやすさを持っている。

▶●パソコンならではの高い拡張性

軽くて電池の持ちがよく、PIM を搭載したマシンというと、ZAURUS のような電子手帳も候補になる。だが、200LX は電子手帳と違い、MS-DOS の動くパソコンである。VZ エディタなどのDOS/V用のソフトが動作するため、それらを追加していくだけで、200LX はどんどん便利になる。こういった拡張性の高さは、電子手帳ではまねのできないところだ。

■HP 200LX のいま

インプレスのWeb マガジン「PC Watch」が去年の11 月に行なったアンケートで、200LX は「読者が選ぶ“イチオシPC” PDA 編」のダントツ1 位だった。95LX や100LX が発売されたころは紛れもないマイナー機種だったが、いまや人気機種ランキングに名を連ねるまでになったのだ。LX シリーズの国内販売台数は延べ6 万台ともいわれ、さらにNIFTY-Serve のFHPPC(Hewlett Packard PC User's Forum)の会員数は66,624 人に達するという(1 月11 日現在)。昔を知る者としては、感慨深いものがある。

まず、シアワセともいえる現在の状況を説明してから、ここにいたるまでの歴史を振り返っていくことにしよう。

▶●完璧な日本語環境

95LX はもちろんのこと、現在の200LX さえも、マシン自体はアメリカとまったく同じものが日本でも売られている。つまり、買ってきたままの状態では日本語が使えないのである。だが、これから200LX を買う人は、なにも心配することはない。市販の「HP 200LX 日本語化キット」を使えば、簡単に日本語が使えるようになるからだ。このソフトこそ、ユーザがコツコツと行なってきた日本語化の集大成である。

▶●豊富なオンラインソフト

すべての基礎となる日本語化ソフトをも自らの手で作り上げたLX ユーザは、そのほかにもさまざまなオンラインソフトを作ってきた。オンラインソフトのほとんどはNIFTY-Serve のFHPPC フォーラムで開発されており、現在でもさまざまな最新情報が同フォーラムから発信されている。特定機種用のオンラインソフトがここまで多く作られたことは、いまだかつてなかったのではないかと思う。世界的にみても日本産のLX 用ソフトは優秀で、海外でも広く使われている。次号からのCD-ROM には、オンラインソフトを厳選して収録していく予定だ。

▶●強力なハードウェアの改造

ソフトウェアでマシンを使いやすくしていく一方で、ハードウェアの改良もユーザの手で進められてきた。有名なのは、マシンの処理速度をほぼ倍にするクロックアップと、内蔵RAM の容量を増やす改造だ。いずれもユーザが考案したものだが、現在は秋葉原のPS/PLAZA WAKAMATSUで有償の改造サービスも行なわれている。日本語化キットにしてもそうだが、製品レベルにまで完成度を高められるのが、LX ユーザのすごいところである。

▶●10 冊の書籍

95LX も含めると、すでに10 冊のLX シリーズ関連書籍が出版されている。かつてのLX は、必死に情報を集めなければ使いこなせないマシンだったが、いまは本を何冊か買ってくるだけでこと足りてしまう。

■LX 日本語化の軌跡を振り返る

LX 日本語化の歩みを年表にしてみた。この表をもとに、次号から5 回にわたって連載していこう。今回は、それぞれの回でどのような話題を扱っていくかを紹介して締めくくりたいと思う。どうぞお楽しみに!

▶○第2 回 「HP 95LX 日本語化の歴史」

1991 年に米Hewlett-Packard 社から発表された「Lotus1-2-3 内蔵電卓」HP 95LX。だがHP 社の思惑とは別のところで、ユーザはその価値を見いだしはじめた。「世界初、手のひらに乗るPC-XT 互換機」としてのHP 95LX と、「KTYPE」から始まった日本語化の歴史。突如として現われ、センセーショナルなデビューを飾り、その後のHP LX の日本語化に大きな影響を与えた「jmemo」とは? その後「kdisp+fep」によってひととおりの完成をみるまでの、HP 95LX の日本語化の歴史を振り返る。

▶○第3 回 「HP 100LX システムマネージャの日本語化」

HP 95LX の日本語化がようやく形としてできあがったときに発表されたHP 100LX。その衝撃と混乱とは? HP 95LX よりもさらにPC-XT 互換機としての完成度を上げ、DOS 上ではフリーソフトによってすぐに日本語化が実現してしまった新HP LX。すでに日本語が使えるHP 95LX か、はたまたHP 100LX をDOS/C 化して従来のDOS マシンとして使うか。新規ユーザに迫られたその選択に決着をつけるべく登場した「kdisp100」によるシステムマネージャの日本語化と、「kmemo」

などの日本語アプリケーションの歴史を振り返る。

▶○第4 回 「HP 100LX DOS の日本語化」

システムマネージャの日本語化よりも前に、「$fontm+dispc」によって一度は完成されていたHP 100LX DOS の日本語化。だがそれはやはり、汎用部品で構成されたゆえの未完成さが残るものでもあった。しかし、その後現われたHP 100LX 専用のソフトウェア群がもたらした環境によって、しだいに状況は変わっていった。DOS とシステムマネージャの両方が日本語化され、さまざまな雑誌で取り上げられはじめたHP 100LX は、そのユーザ数を着々と増やしていったのである。

▶○第5 回 「DOS 環境とシステムマネージャ環境の融合」

完成されたDOS 日本語環境と、完成されたシステムマネージャ日本語環境。しかしその両方に足りなかったものとは? ユーザが増えるにつれ発生するニーズの多様化。ハードウェアの制約上、不可能だと思われていたEMS ドライバの登場や、市販のFEP が使えるようになるまでの物語。ハードウェアのほうではユーザの間で開発された「クロックアップ」手法などについても取り上げる。

▶○第6 回 「HP 200LX と日本語化キット」

HP 100LX のマイナーチェンジ機ともいうべきHP 200LX の登場。日本での発表会の場で同時に発表された「日本語化キット」とは? その完成までの裏話と、その後次々と発表されたフリーソフト、シェアウェアの数々を紹介する。

キーマン・インタビュー

NORI氏(NIFTY-Serve FHPPC SYSOP)

もともとアウトドアスポーツの趣味があって、外でもプログラムを書けないかな、と思っていました。小さくて電池で使えて、かつDOS でプログラムできるものが欲しかったんです。91 年の8 月に「THE BASIC」で95LX の記事を読んで、その年の暮れに買ったのがLX との出会いです。

当時は、搭載されていたPIM はカタカナさえ出なかったので使わなかったですね。ローマ字で入力すればいいんですが、これでは単語として目に飛び込んでこないんです。そこで、ローマ字を変換してカタカナをグラフィック表示するようなプログラム(KTODAY)を作ったんです。日本語化の走りだったのかもしれませんね。

kdisp ができた段階では、jmemo を使ってクリップしてアプリケーションに貼り込んで日本語入力していたんです。それをキーボードから直接アプリケーションに入力できるようにしようということで作ったのがfep.exm です。日本語入力はできるようになったものの、フォントが14×14 ドットで、95LX に表示させると少ししか表示できない。また、PIM 上では8×8 ドットまでしか表示させることができないということで、かづひ氏と8×8 ドットフォント(font.9)を作ろうということになりました。これがいまの恵梨沙フォントです。

このとき、フォーラム上で呼びかけたら10 人くらいがすぐに集まりまして、コツコツとやってました。もしふたりだけだったら、途中であきらめていたかもしれません。仲間がいるということは、すごく心強いと感じましたね。とりまとめ役を引き受けてくれたのがFHPPC のSUBSYS をしているYAFOさんです。

93 年10 月ごろからクロックアップの話が出はじめました。クロックアップ用のクリスタルを特注して紹介したらアッという間になくなりましたね。そこで、若松通商さんが販売窓口にという話になったんです。

当時LX の会議室は、FYHP にひとつだったんですが、ユーザ数がどんどん増えて、対応し切れなくなってきたんです。NIFTY 側からもあと押しがありまして、FHPPC が発足したんです。200LX が発売された直後でした。

いまでも、外出するときは200LX だけですね。乾電池で動いて、電池が切れても慌てることがないのは精神安定上、すごくいいんです。ノートPC はピコピコって鳴ると、ウルトラマンじゃないけど、あぁ、早く終わらせなくちゃという感じで(笑)。それから、なによりもサスペンドとレジュームの速さがいいんです。携帯するものは、いちいちシステム終了して、使うときにリブートして……というのは使いづらいんです。データをみたいときに、取り出してすぐにみられるのが理想です。

でも、私が200LX を使ういちばんの理由は、200LX よりもいいマシンにまだ出会っていないためなんです。携帯端末というのは、どこか割り切らなくてはいけない部分があると思います。画面はモノクロでいいし、速度もそれほどなくてもいい。ただ電池で動いて、稼働時間が長くて、それほど重くなければいいんです。アプリケーションも同じで、豊富な機能の代償に、ディスク容量やメモリを食うものは、携帯端末には使いづらいんです。

Windows CE 機が登場しましたが、まだバッテリーの問題や、アプリケーションが少ないといった問題があります。LX ユーザがここまで増えたのは、アプリケーションを作るユーザが多かったことも理由のひとつではないでしょうか。LX は、アプリケーションを作りたいと思わせるものだったんですね。でも、95LX も100LX も開発資料がほとんどなくて、すべてトライ&エラーでやっていました。だからこそ燃えたのかもしれませんね。当時は毎日がバージョンアップでしたから(笑)。

(インタビュアー:関谷博之)
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連載 第2回 Pages 10 - 17
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HP 95LX 日本語化の歴史

1行の日本語表示から始まった奇跡 / インタビュー:鍋貼儿(Guotie)氏(KTYPE / jmemo開発者)

HP 95LX 実機写真
写真:LXシリーズの第1号機「HP 95LX」。ここから日本語化への挑戦が始まった。

第2回 HP 95LX 日本語化の歴史

TEXT:寺崎和久前回予告したとおり、今回は HP 95LX(以下95LX)の日本語化の歴史について紹介する。日本語のマニュアルさえついていなかった95LX で、どのように日本語を表示させ、どのような経緯で日本語エディタやfep が作られたのだろうか。HP 95LX の日本語化の歴史を紹介する前に、まず95LX のスペックをひととおり紹介することにしよう。比較するために、HP 100/200LX のスペックも同時に挙げておく(表)。

95LX の特徴のひとつは、なんといっても、それがIBM PC-XT 互換機であったということであろう。これはつまり、PC-XT 上のDOS ソフトウェアが動作するということでもある。事実、少しの修正(おもには画面サイズの違いによるもの)で「VZ エディタ」も動いたし、「Turbo C」も「MASM」も動いたのだ。その液晶画面は40×16 文字というサイズであったが、仮想スクリーン機能を持っていたので、80×25 文字の画面(MDA 互換)として扱うことができる。そのため、80×25 文字用のアプリケーションであっても使用することができた。実際にはカーソルが現在の画面の範囲外に動くと自動的にそれに追従して全体が縦、横にスクロールするという仕様になっていた(追従しないで、手動でスクロールさせるモードも存在した)。

HP 95LX とHP 100/200LX のスペックHP 95LX HP 100/200LX CPU V20H 相当i80186 相当メモリ 512KB/1MB 1MB/2MB/4MBクロック 5.37MHz

7.918387MHz

画面240×128 ドット 640×200 ドットバッテリー 単3 乾電池×2 単3 乾電池×2 LX シリーズの第1 号、HP 95LXそしてもうひとつの大きな特徴は、「システムマネージャ」(*1)という名の独自のタスクスイッチャを持ち、内蔵アプリケーションはすべてそのプラットフォーム上で動いていた、ということであろう。これは、現在のWindows などを使っていれば当然のことであるが、あるふたつ以上のアプリケーションを切り換えながら作業を行なう、といったことを可能にするための環境であり、いわば、DOS 上のWindows 3.1に相当するもの、といえば分かりやすいであろうか。つまり、取りかけのメモを開いた状態で、電話をかけるために電話帳アプリを開き、電話で話をしながらスケジュール管理のアプリを開いてミーティングの予定を入力する。電話が終われば先ほどのメモの続きを取りはじめる……、そんなことが可能な環境なのである。そして、それらの専用アプリケーションのための起動キーが存在することも、ほかのPC とは違う点でもある。

*1:このシステムマネージャは、実はLotus 社によって作られたものである。95LX からして、Lotus 社

が自社の「Lotus 1-2-3」のプラットフォーム拡大のために各社(日本の数社も含まれていた!)に持ち込んだ企画なのであった。この提案にいちはやくゴーサインを出したのが米Hewlett-Packard 社(以下HP 社)であった。

■日本でも発売された95LX

95LX は米HP 社の製品である。そのため、日本では横河・ヒューレット・パッカード(現在の日本ヒューレット・パッカード)が取り扱っていた。製造元のアメリカ(1byte 圏)では、Lotus 1-2-3 がROM に載っていてキー一発でアプリケーションが切り換えられるということもあり、一部のユーザからはすでに熱狂的な支持があったのだが、日本で販売されたものは、日本語化はされておらず、マニュアルですら日本語化されていないものであった。唯一、最初に読むスタートアップガイドのみが日本語化されていたのみである。

日本語が扱えないコンピュータ……しかし日本でも、実際にそれを初期のころ買った人たちがいたのである。彼らのうちの多くは、95LX が発表された当時、昔からテレビや映画の世界でしかなかった「手のひらに乗るコンピュータ」がついに現われた(*2)のだな、と実感したのだ。自分でも使える、いつでもどこででも使え、ほんとうに持ち歩きのできるコンピュータが。

*2:流通しているソフトウェア(IBM PC-XT 用)が使用できるマシンということ。それ以前から「ポケコ

ン」や「Handy98」などもあったが、「世界標準」アーキテクチャを持ったマシンという点で、95LX の登場は衝撃的であった。

■KTYPE により日本語表示が

当時の日本国内で95LX の情報といえば、パソコン通信の「日経MIX」か「NIFTY-Serve」のどちらかであった。日経MIX のほうでは、初期のころからかなりの盛り上がりをみせており、95LX 上で最初に日本語の表示に成功したのも、その日経MIX のグループである。それがこの「KTYPE」であった。KTYPE の画面イメージKTYPE は、santa氏によって作られたソフトウェアで、95LX のDOS 上で動く日本語テキストビューアである。240×128 ドットの画面上で16 ドットフォントを使用するので、実際には15×8 文字しか日本語表示できなかったのであるが、それでもまさかこの95LX で日本語が表示できるとは夢にも思っていなかったユーザは、まさに狂喜乱舞したのである。

■まさか!?のjmemo 登場

92 年3 月27 日、NIFTY-Serve、FYHP フォーラムの3 番会議室に、以下のようなメッセージがアップされた。221/512 HBA02202 mani 日本語 on Jaguar( 3) 92/03/27 00:38 220 へのコメント コメント数:3santaさんの方のというかMIX チームのほうのスケジュールはわかりませんが、僕の開発スケジュールでは3 月: 日本語表示4 月: かな漢字変換モジュール作成DOS command prompt から立ち上げるeditor 作成、デバイスドライバ型の表示およびかな漢字変換モジュール作成5 月: Sysmgr から呼び出せるmemo コンパチ日本語エディタ作成てな感じです。現状日本語はページャで表示できるだけです。で、いまはかな漢字変換モジュールを書きながら手ごろな辞書とフォントをさがしているところです。

これが、後に大反響を呼ぶこととなる「jmemo」である。その当時、システムマネージャ上で動くアプリケーションは皆無であった。それなのにこのmani 氏は、日本語エディタというだけでもたいへんなところを、それをシステムマネージャ上のアプリケーションとして作ろうとしているのだ……。これがどれほどたいへんな作業なのかは、たとえばWindows が初めてこの世に出てきたその当時に、ほとんど資料もない状態で、その(当然英語しか使えない)Windows 上でFEP 込みの日本語エディタを作ろうとしているようなもの、といえば少しは分かっていただけるであろうか。それほどに、にわかには信じがたい発言でもあったのである。

さて、そのjmemo とはいかなるソフトなのか。ひとことでいうと、「FEP 込みのマルチフォント対応日本語エディタ」である。ひととおりの編集機能と、ローマ字かな漢字変換を内蔵していた。かな漢字変換の辞書は、UNIX の世界で使用されている「SKK」の辞書を、日本語フォントには、これもやはりUNIX のX-Windows の世界で使用されているフリーの14 ドットフォントを使用していた。そして92 年5 月13 日、ほぼ当初の予定どおりに待望のjmemo が公開された。当時のユーザは、みな絶賛した。

「日本語は完全にあきらめて買った95LX で、まさか日本語が使えるようになるなんて」。jmemo の画面イメージさらにすばらしいことに、作者mani 氏は、そのソースコードを惜しげもなくすべて公開してくれたのである。その当時、まだシステムマネージャ上の開発環境に関する資料はどこにもなかった(*3)。これをもとに、いろいろなプログラムが作れるのでは……? 当時そう思った人たちも少なからずいたのである。

*3:実はアメリカのCompuServe では公開されていた。日本では、その後それと同じものがNIFTY-

Serve で公開されることになる。そのjmemo だが、初期のバージョンにはいくつかのバグがあった。ユーザにとっては、少々のバグなどjmemo の魅力に比べれば些細なことであった。しかし、ひとつだけエディタとして致命的なバグがあった。途中の文字を削除していくと、それ以降の文書がおかしくなってしまうのである。あいにくmani 氏は多忙なためバージョンアップもままならない。そんなころ、jmemo のソースコードと格闘していた人物がいた。これが後にkdisp を作ることになる、かづひ氏である。彼もまた、jmemo の魅力に取りつかれたうちのひとりだった。彼は公開されていたソースコードをもとに、そのバグを修正し、さらに自分に必要な機能を追加していったのである。そしてそれを「jmemo Version 2.00」として公開した。

■HP 95LX ハンドブック

ちょうどそのころ、KTYPE の作者であるsanta氏は、95LX の本を書いていた。この本は、95LX の本では最初で最後のものであり、それにふさわしいくらい内容が豊富であった。前半が95LX の機能の紹介から使い方まで、そして後半ではなんと95LX のプログラミングについて書かれていたのである。この本は95LX ユーザのまさに「バイブル」的存在であった。

■ROM の解析とkdisp

jmemo のバージョンアップ作業のかたわら、かづひ氏が次に考えていたことは、システムマネージャ自体の日本語化であった。どうにかして内蔵アプリケーションで日本語を表示できないものか……。彼はしだいに95LX のROM の解析にまで手を出していくのである。ここで少しハードウェアの話をすると、最初の95LX は RAM 512KB とROM1MB を搭載していた。標準ではPCMCIA カードなどは添付されていなかったので、その512KB のRAM をRAM ドライブ(C:)とシステムRAM のふたつの領域に分けて使用していた。「そんな少ないRAM で、なぜ複数のアプリケーションを同時に使えるのか」という疑問があるが、アプリケーションがすべてROM 上に載っていて、システムRAM 上に読み込まれて実行されるわけではないために可能だったのである。つまり、RAM上にはアプリケーションのワークエリアしか必要なかったのだ。この考えはその後HP 社から発売されたサブノートPC「OmniBook 300」でも一貫しており、なんとそちらはWindows 3.1 をROM に載せてしまったのである! おそらくこの世で唯一のROM-Windows マシンであろう。

そういった特殊な環境というのもあり、ROM の解析には時間がかかったのだが、そのかいあって、ついに日本語化の手がかりをつかんだのである。そしてその発見から数週間後の1992 年の年末に、ついに95LX の日本語環境である「kdisp」が発表されたのだ。

■fep ができるまで

95LX に本格的な日本語表示環境をもたらしてくれたkdisp であるが、ほんとうの意味で実際に使いものになるのは、もう少し先の話である。たしかにkdisp によって日本語の表示は可能となったが、肝心の日本語の入力がまだできなかったのである。これではほとんど意味がないではないか。そのころのユーザができたことといえば、せいぜい95LX を使ってパソコン通信に入ったり、jmemo で作った文章を表示させたりするくらいのものであった。

kdisp の画面イメージそんなある日のこと、Suguri 氏の発言によって状況が一変してしまうのである。彼のアイデアは、jmemo で入力した日本語を一度テンポラリファイルとして保存し、その後そのファイルを内蔵アプリのMemo 帳にてオープンする。さらにその後そこに表示された日本語をコピー&ペースト機能を使って自分が入力したいアプリに貼り込む、というものであった。これらの複雑な作業を、キーボードマクロ機能によって自動化することで、キー操作上はあまり手間がかからないようにしたのである。少し説明すると、95LX にははじめからキーボードマクロという機能が備わっていて、ある決まった一連のキー操作を学習させて、次回から専用キー一発で呼び出すことができた。Suguri 氏のアイデアは、この機能とクリップボード、そしてjmemo とをうまく使った絶妙な「合わせ技」である。これによって、ようやく各アプリケーションでまがりなりにも日本語の入力ができるようになったのである。この発言の次の日から、「住所録データをすべて日本語にしました」などの報告があいついでなされた。

これと同じころ、NORI氏はこのアイデアをさらに発展させて、日本語DOS 上のFEP のようなものを作りたいと考えていた。jmemo のFEP の部分だけを抜き出したようなもので、クリップボード経由で日本語を入力するのである。かづひ氏もまさに同じようなことを考えていた。93 年1 月のある日、その当時から(そして現在も)熱心にHP-LX シリーズを販売していた新宿の紀伊國屋ADHOC 店で顔を合わせたふたりは、おたがいに考えていたfep に関するアイデアをぶつけ合った。NORI氏が、「fep はシステムマネージャ上のひとつのタスクとして動くべきだ。DOS 上のFEP のようにメモリに常駐してしまうと、少ないメモリが圧迫されてしまう」といえば、かづひ氏は「kdisp にfep 専用のAPI を付加すれば、クリップボード経由でなくても入力できるはず」と提案。短時間のうちにさまざまなアイデアが出てきたのだ。「この95LX で、自由に日本語を使いたい」。ふたりが持つその共通の思いが、彼らを駆り立てた。

そしてその日から、かづひ氏はfep とkdisp とのインターフェース部分の改造を、NORI氏はjmemoのソースからfep の作成に取りかかった。そして、93 年2 月に「fep Ver.1.00」が公開された。

■95LX 用の漢字フォントを作ろう!

kdisp が使用していた漢字フォントは、実はMacintosh の「大阪9 ポイント」というフォントであった。この経緯はjmemo の登場にまでさかのぼる。当初jmemo を作ったmani 氏は、表示用フォントとしてUNIX のX-Window 用に出回っていたフリーの14 ドットフォント(*4)を使っていたのだが、それではあまりにも表示できる文字数が少なすぎるということで、公開したjmemo では、Macintosh の最小フォント(8×8 ドットフォント)をDOS フォーマットにコンバートしたものも使えるようにしたのである。ただしこのフォントを使うことのできる人は、95LX のユーザで、かつMacintosh を持っていて自分でファイルをコンバートできる人に限定されていたのだ。しかし一度このフォントを使ったjmemo をみてしまうと、どうしても使いたくなるほど、魅力的なものであった。なかには「友人のMac からコンバートしてきた」という人までいたのである。

fep 環境も整いつつあった93 年の2 月。この状況を見かねたNORI氏が、「みんなでフリーの8×8ドット漢字フォントを作ろう!」という呼びかけを行なったところ、すぐにメンバーが集まった。当面はJIS第一水準(約3,500 文字)を目標としよう。代表者のYAFO氏を中心として、ネット上での「共同作業」が始まったのである。これが、現在ではさまざまなPDA 上で活躍している「恵梨沙フォント」のはじまりであった。

kdisp+fep の画面イメージ

*4:実はこのフォントも、X-Window を日本語化した「有志」たちが、自分たちの手で(しかもほとんどが、

たったひとりの大学生の手によって!)作られたものである。「日本語化の歴史」とは、どの世界(マシン)でも似たようなものなのかもしれない。*次回は、「HP 100LX システムマネージャの日本語化」と題してお送りしよう。請うご期待!

キーマン・インタビュー

鍋貼儿氏

HP LX シリーズは95LX のころから使い続け、200LX のいまとなってもコートや背広のポケットに常に忍ばせています。

HP 製品との出会いとなると、学生のころにさかのぼることになります。当然LX シリーズは存在しませんでしたが、愛用していた電卓がHP 製だったのです。そんなわけで、当時HP は電卓の会社だと思っていました(笑)。

社会人となったあとも、HP 製の電卓を利用していたのですが、そこでHP 95LX と出会うことになりました。95LX は世界最小のPC-XT 互換機だったのですが、広告でも電卓の延長として扱われており、ユーザも高価な電卓というイメージを持っていたようです。そんなとき、ある記事(IBM PC マガジンに掲載されたゼロ・ハリ氏の記事)をきっかけに95LX へ対するイメージが大きく変化したのです。その記事は95LX を「PC だ!」と強調していたのですが、これを境に95LX のパンフレットもさま変わりすることになったようです。

95LX は表計算ソフトのLotus 1-2-3 や、PIM という言葉を生んだLotus の手による予定表、電話帳などを搭載していたわけですが、200LX となったいまでも基本コンセプトは変わっていませんね。91 年に95LX が登場し、93 年には100LX へとモデルチェンジしたLX シリーズが、なぜ95 という中途半端な型番からのスタートなのか? いまになって思うと、HP は最初から「100」を出すつもりで、その前機を「95」と名づけたのではないかという気がします。

そのHP 100LX とペアとなるサブノートPC として、HP OmniBook 300 も忘れられないですね。ROMにWindows やアプリケーション(Word、Excel など)を搭載したOmniBook 300 は、HP ではひとつの流れとして企画されていたとも聞いています。このOmniBook 300 と100LX が日本語化され販売されていれば、いま以上に注目される存在となっていたかもしれません。ローカライズに関する動きはHP でも実際にあったようで、ネットワーク上でもうわさが出たり消えたりしていました。

HP LX の日本語化はユーザにとっての希望でもあり、この連載の主題でもある“日本語化キット”が存在するいまとなっても、HP から日本語化されたHP LX が登場することを願う方も多いのでは!?と思います。

(インタビュアー:関谷博之、堅木昌宏)
HP200LX 日本語化キット 開発秘話 アーカイブ ページ最上部へ ▲
連載 第3回 Pages 18 - 24
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HP 100LX システムマネージャの日本語化

内蔵PIMの完全日本語化へのブレイクスルー / インタビュー:ゼロ・ハリ氏(FEP100 / KNJ100LX解析)

HP 100LX 実機写真
写真:LXシリーズ第2号機「HP 100LX」。80186互換CPUとCGA液晶を搭載し、日本語化の可能性が劇的に広がった。

第3回 HP 100LX システムマネージャの日本語化

TEXT:寺崎和久前回は、HP 95LX の日本語化の歴史を紹介した。今回からいよいよHP 100LX の日本語化の歴史について紹介しよう。まず今回は、システムマネージャの日本語化について紹介する。今回紹介する「システムマネージャ」とは、先月号で取り上げたHP 95LX(以下95LX)のころから存在するコンセプトで、いわば「DOS 上のWindows 3.1 的な存在」とでもいったようなもので、DOS 上において各種アプリケーションを切り換えながら使えるようにするための仕組みのことである。

HP 100LX(100LX)は、ご存じのように現行機種のHP 200LXの前モデルで、スペック的にはまったく同じものといえる。ただ内蔵アプリケーションの数が若干違う程度で、あとはその「色」が違うだけである(*1)。当初はRAM が1MB のモデルのみであったが、のちに2MB モデルが追加される。

*1 正確なことをいうと、マザーボードなどは変更されていた。

一部HP 200LX ユーザの間で行なわれている「メモリアップグレード」などは、100LX ではそう簡単にはできないのだ。

■最初の日本語化

100LX が発売された直後から、DOS/V の互換ドライバとして存在していたフリーソフトの「$FONTm.sys」と「dispc.sys」を使用することにより、DOS 上での日本語表示が可能であることが知られていた。NIFTY-Serve のFYHP フォーラムでは、かなり初期のころからその方法についてもユーザの手によって公開されていた。この状況は、アプリケーションで日本語が扱えるようになるまでに1 年以上もかかった95LX とは大違いだったのである。100LX は、いわば発売された直後から「日本語を身にまとうことが可能」なコンピュータだったのである。95LX を買ったユーザは、その大半は「Lotus 1-2-3がこんな小さなマシンで動いてしまう」とか、「このPIM が最高に使いやすい」という理由からであった。

しかし、最初に100LX を購入した人たちの場合は「手のひらに乗る日本語DOS マシンである」というのが、実はもっとも大きな理由だったのである。

■95LX vs. 100LX

100LX が発売される前に、すでにFYHP フォーラム(現FHPPC フォーラム)では、95LX の日本語化をはじめとしたさまざまな出来事が起こっていた。しかしそこで用意された会議室は「みんなの憧れHP 95LX」ひとつだけ(*2)だったのである。そこにきて登場した100LX の出現により、本来95LX 専用の会議室であった場所が、一気に100LX ユーザの情報交換の場となっていったのである。それはまるで、DOS/V(DOS)のユーザとWindows のユーザが、たったひとつの会議室に押し込められたかのような状態となっていたのだ。これでは混乱が起きないほうが不思議である。事実、こういったことが理由で、DOS 派とシステムマネージャ派とが対立し、険悪なムードとなっていた時期もあった。

LX シリーズ第2 号、HP 100LXシステムマネージャ派が「内蔵アプリケーションを使わない100LX なんて、その魅力の半分も使っていない」といえば、「DOS/C(*3)専用マシンとして使うのも、ひとつの使い方ではないのか」という。95LX のユーザは、「内蔵アプリケーションで日本語が使えない100LX よりは、日本語が使える95LXのほうがいい」といい、DOS/C ユーザは「100LX になって初めて、DOS/C が動くようになった」という。

それまでは95LX というマシンしかなく、ユーザみんながだいたい同じような方向性や目標を持っていた時代から、日本語PIM マシンとしての95LX、DOS/C マシンとしての100LX という多様化の時代へと移っていったのである。

*2 正確には「恵梨沙フォント PJ for 95LX」という会議室もあったが、こちらは8×8 ドット日本語フォ

ントの「恵梨沙フォント」専用のものであった。

*3 当時の100LX ユーザーは、DOS/V がVGA 画面(640×480 ドット)を想定してのネーミングであっ

たのに対し、100LX などのCGA 画面(640×200 ドット)に対応させたDOS/V 互換ドライバをDOS/Cと呼んでいた。

■半角カタカナ表示が即実現

95LX からずいぶんと進化を遂げていた100LX のシステムマネージャ上では、日本語化の作業はかなり困難なものであると思われていた。しかし、意外なことから半角カタカナの表示はかなり簡単に行なえることが発見されたのである。100LX では最初から英語以外の1byte 圏の各種文字コードに対応できるようになっていた。それを利用し、半角カタカナのフォントファイル(なんとWindows 2.0 のビットマップ形式)を用意することにより、簡単に半角カタカナを表示することができたのである。こんなところをみても、100LX の柔軟な設計には驚かされたのである。

■ナゾの日本語表示ドライバのうわさ

DOS/C によって盛り上がっていた当時のFYHP フォーラムにおいて、ある日、こんな発言がアップされていた。02401/02406 GGB03314 NORI RE 100LX の日本語版( 3) 93/07/03 19:04 02380 へのコメントあるまみ様100LX の日本語版は正確には日本語化だと思います。何故かと言うとYHP の方からその様なアナウンスが全然無いからです。多分95LX の時と同じ様にどなたかがソフト的に日本語を表示するドライバを作成したのだと思います。

また紀伊國屋の植木氏の所で100LX の内蔵アプリが日本語を表示していたとも聞いています。その様な訳ですので今買っても大丈夫ですよ。また、紀伊國屋さんも通販をしてたはずです。NORIそう、ついにシステムマネージャの日本語化が何者かの手によって完成したというのである。ほんとうだとすると、驚くべき事実である。しかし、フォーラム内での受け止められ方はそう大きなものではなかった。第一には、そのシステムマネージャをまだ使いこなしているユーザが少なかったこと、そしてもうひとつは、すでにユーザは「DOS/C」という別の日本語環境を手にしてしまっていた、ということが原因であった。

実はこの日本語表示ドライバ「KNJ100 LX」を開発したのは、95LX 用の日本語表示ドライバ「kdisp」を開発した、かづひ氏であった。だが、彼はこれをすぐには公開しなかったし、あえて名前も「kdisp 100」とはしなかった。彼も「DOS/C」派に少なからず反感を持っていたひとりであった。95LX のシステムマネージャにほれ込み、kdisp を開発した本人でもあったので、当然といえば当然かもしれない。彼にとって「LX=優れたシステムマネージャを持つマシン」なのであった。

そして彼もまた、「システムマネージャで日本語を使えない100LX になんて乗り換えられないよ」と思っていたひとりでもあったのだ。こんなかづひ氏がこのKNJ100LX を開発した理由は、「100LX 上で95LX 用のソフトウェア(jmemo)が動いてしまった」という、単純な理由からであった。彼は最初、なぜ米国Hewlett-Packard 社(以下HP 社)がこんなにもグラフィックを多用した、いかにも遅そうな、そして95LX とまったく互換性のなさそうなマシンを出してきたんだろう、と残念に思っていた。「ひたすら軽く動く」ことが95LX のよいところであると確信していた彼の目には、それはまったくの別ものに映っていたのである。しかし、ふとしたことからひと晩だけ100LX を借りた彼は、ものは試しにと95LX の代表的ソフトウェアであるjmemo をインストールしてみたのである。すると、なんの手直しもなくすんなり動いてしまったのだ。「ここまで完全な互換性を維持していたのか」。100LX を見くびっていた彼にとって、これはかなりのショックであった。

jmemo は速度を稼ぐためにハードウェアに直接アクセスしていたのであるが、それでも動いたのである。つまり、ソフトウェア上の互換のみならずハードウェアレベルでの互換性も維持していたのだ。「HP 社のエンジニアがここまでやったんだったら、オレもいっちょやってやろうじゃないか」。この一件は、彼に100LX を買わせ、日本語ドライバを作らせる動機としては十分であった。さらには、内部クロックが上がり、動作が速くなったにもかかわらず、逆に電池寿命が延びていたことも驚きのひとつであった(*4)。

さらにこのKNJ100LX の登場には、もうひとつの別の背景も存在していたのである。* 4 95LX から比べてよくなったことばかりではない。95LX では積んであったサウンド用のD/A コンバータが100LX ではなくなってしまい、逆に音は悪くなってしまった。kdisp100 の画面イメージkdisp100+fep100 の画面イメージ

■FEP100.EXM と作者不明のKNJ100LX

95LX で使われていたFEP.EXM を100LX に移植したものがFEP100.EXM である。その作者NORI氏は、今度の100LX に関して自分が作るプログラムは、すべてシェアウェアにしてしまおうと考えていた。これは、自分が作ったプログラムが人に使われて、それを使った人たちはほんとうに喜んでくれるし、励ましの言葉を送ってもくれる。やりがいも感じている。しかしそのためにかかる自分の負担が、あまりにも大きすぎる……。こういったことは、フリーソフトの作者が常に直面しているジレンマなのであるが、

キーマン・インタビュー

NORI氏もまた同じ悩みを持っていたためである。そこでNORI氏が考えたアイデアが、KNJ100LX 日

本語表示ドライバを、FEP100.EXM のシェアウェア登録していただいた人のみに配布する、というものであった。これは「システムマネージャのすばらしさが分かる人だけに使ってほしい」というかづひ氏の考えとも一致していた。その結果、KNJ100LX は作者不明の状態でFEP100.EXM のオマケとして配布されることとなったのである。

■kdisp100 で再登場

そうしてFEP100.EXM が普及していくに従って、急激に100LX の内蔵アプリケーションが活用されはじめたのである。NORI氏のKNJ100LX 配布作業がたいへんになってきたので、KNJ100LX は「kdisp100」と名前を変えて公開されることとなった。KNJ100LX がFEP100.EXM と同時に配布される目的で作られたものであったのに対し、その後に発表されたkdisp100 は、完全にそれ単体で動くことを想定して作られたものであった。のちに標準でFEP100 をサポートすることになる。その後、さらに機能拡張したさまざまなバージョン(DOS 上での日本語表示を可能にしたものなど)が一時的に存在したが、時代の流れに沿っていないそれらのバージョンは淘汰され、最終的には現在の0.72 が最終バージョンとなっている。これをもとに、HP 200LX に対応したものが「kdisp200」である。これらは漢字フォントをディスク(実際にはRAM)から直接読み取ることにより、常駐サイズは数KB と驚異的に小さなものとなっていた。

■100LX 用エディタ KMEMO.EXM

「KMEMO.EXM」は、95LX 時代に一世を風靡したjmemo エディタを進化させて、100LX に移植されたもので、mani 氏、かづひ氏のあとを継いでjmemo のバージョンアップを行なっていたNORI氏によって作られたソフトウェアである。実は95LX 上のjmemo エディタも、100LX の高いアッパーコンパチビリティによって動作は可能であったが、画面のドット数の関係上、画面の中央に小さく表示されてしまう。

KMEMO はそれ自体でFEP 機能を持っていたり、日本語表示を独自に行なっていたりと、kdisp100 と機能的に重複する部分を持っていたため、のちにはkdisp100 側からフォントを取得したりするようになっていった。

■日本語化の紹介記事

KMEMO の画面イメージFYHP フォーラムの「恵梨沙フォント PJ for 95LX」で行なわれていたLX 用の日本語フォント作成も、そのころになるとJIS 第二水準まで完了し、ほぼ完成をみていた。フォントもそろい、日本語化ソフトウェアがひととおりそろったので、みるみるうちにユーザ数は伸びていった。その当時、すでに100LX のこの日本語化について取り上げている雑誌が何誌かあったが、その中でも「月刊ASCII」誌編集長である遠藤氏はとくに熱心な100LX ユーザでもあった。そこでこれらの日本語化に必要なファイルなどを、月刊ASCII のおまけディスクに入れてもらおう、ということを提案した人がいた。その人こそがそののち、「HP 200LX 日本語化キット」を発売することとなるオカヤ・システムウェア(株)社長のごんたろ氏であった。彼はさっそく遠藤氏とコンタクトし、話を進めていった。だが、ここからがさまざまな苦労の連続である。まず、限られたディスクスペースの中で、LX の日本語化に関するものを載せられるスペースはわずかであった。問題はFEP100 用の「辞書ファイル」である。これがどうしてもスペースを取ってしまう。

そこで、毎晩のように「世田谷廃人サロン(*5)」と名づけられたごんたろ氏の家に有志一同が集まり、辞書内容の見直しが図られたのである。「あと×××バイト切り詰めなくては」。なんとしても収録してやる。締め切りの夜は、みんな徹夜で作業を行なった。「95LX のソフトウェアは、サイズの関係上今回は見送りたい」といわれ、それは絶対に避けたいという意地から、ごんたろ氏は徹夜で、各ファイルをひとつの実行ファイルにパックした状態にし、そこからだれでも簡単にインストールできる「LX 専用インストーラ」まで完成させてしまう。そのかいあって、無事収録は完了した。「月刊ASCII 1993 年12 月号」。

これが、LX の日本語化ソフトウェアが初めてメディアを通して広く一般の人の手に渡った、最初の第一歩であった。

*5 FYHP ではできない話題などを行なうために、FMODEM フォーラムに移動した人たちが集まった

グループ。のちにここからクロックアップや、メモリ増設などの技術が出てくるのである。*次回は、「HP 100LX DOS の日本語化」と題してお送りしよう。請うご期待!

キーマン・インタビュー

ゼロ・ハリ氏

HP 95LX の存在を知り、興味を持ちはじめた理由を思い起こしてみると、PC とのデータリンクが可能なアプリケーションが用意されていたことが最大の理由でしょう。そして、実際に手にしたのは91 年の夏ごろに、シリコンバレーへ出張した際に立ち寄った“フライズ”というショップでした。いかにも高級電卓を思わせる作りで、小型軽量のPC としての機能を持つHP 95LX はホントによくできていたと思います。

その当時、HP 95LX 以外にもSHARP のWizard や、ポケットPC が数社から発売され店頭に並んでいましたが、これらの電子手帳は、アドレス帳の電子化のはじまりであったといえるでしょう。私は95LXのほとんどのオプションをそろえ、アメリカ滞在中に申し込んだHP/LX の専門紙「HP Palmtop Paper」も購読していました。そして、知る人ぞ知る(!?)IBM PC マガジンではHP 95LX に関する連載を始めたのです。

この連載を機に、前回このインタビューに登場した鍋貼儿氏と知り合うこととなり、95LX を通じて遊んでいたわけですが、鍋貼儿氏の友人に、かづひ氏がいたのです。彼こそがkdisp を生み出した本人です。最初に95LX で日本語が表示されたのをみせられたときは、さすがに驚きました。現在、シリコンバレー在住のかづひ氏はUS 出張の際の、私の専属運転手だったりします(笑)。

95LX の話をするときに、必ずといってよいほどLotus 1-2-3 が搭載されていることが話題となりますが、私自身はLotus 1-2-3 の必要性はまったく感じていませんでした。それよりも、自由度の高い電話帳などのデータベース、メモ機能などをよく利用していました。

95LX の後継機として100LX が登場したときも、やはり購入しましたが、200LX は友人からプレゼントされたので購入はしていません。個人的にいえば、ブラックなカラーのほうがよかったかな?と思っています。

とはいえ、HP/LX シリーズはほんとうによくできたツールだと思います。よいというか、出来すぎといえるかもしれません。ここまで高い完成度では、きっと後継機種は出ないままシリーズは終了するような気がしています(※)。

HP/LX に限らず、最近はエンジニアのこだわりが感じられるものが少なく残念ですが、そろそろ二極分化するのではないかという気もしています。ひたすら安いか超高級か。PC の世界にもそんな動きがあってもおもしろいですよね。ただ、いままでいろいろ使ってきて最近、あきらめの心境というか悟りの境地に(笑)達しそうなのです。ひとつでなんでもやろうという考えをやめて、いまはノートPC はチャンドラ、電話帳はWIZ、予定帳はASCII の超整理手帳(笑)を使っていたりします。

(インタビュアー:関谷博之、堅木昌宏)

* このインタビューのあとに、HP はWindows CE 機として300LX を発表、DOS ベースのPC としてのLX は、200 でその幕を閉じようとしている。

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連載 第4回 Pages 25 - 30
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HP 100LX DOSの日本語化

DOS/V文化の移植と高速化ドライバDISPC / インタビュー:清成啓次氏(DISPC開発者)

第4回 HP 200LX DOS の日本語化

TEXT:寺崎和久

キーマン・インタビュー

NORI氏やかづひ氏らが作り上げた日本語環境が呼び水となり、HP 100LX は着実にユーザを増やし

つつあった。その中には優秀なプログラマも多く、のちの「HP 200LX 日本語化キット」の基礎となるドライバが次々と登場することになる。今回は、100LX のDOS の日本語環境が飛躍的に進化した当時を振り返ってみよう。

■既存のドライバによるDOS/C 化

前回も軽く説明したが、100LX はDOS の日本語化が簡単にできることが95LX と大きく異なる点だ。これはおもに画面回りの仕様の違いによる。95LX はMDA(Monochrome Display Adaptor)を独自に拡張した仕様になっていたが、100LX ではより素直なCGA(Color Graphics Adaptor)互換になっている。もともとのMDA の規格には、グラフィックスモードがないため、ソフト的に日本語を表示するのはむりだ。

それに対してCGA には640×200 ドットのグラフィックスモードがあるため、DOS/V と同じ手法で日本語化することも可能だった(CGA マシンを日本語化することを俗に「DOS/C 化」と呼んでいた)。CGAは100LX 以外のポータブル機でも使われていたため、CGA 用の日本語表示ドライバがすでに存在していたことも幸いした。市販のDOS/V(PC DOS J5.0/V やMS-DOS 5.0/V)はCGA まではサポートしていないため、ディスプレイドライバを抜き出して100LX にインストールしても動作しない。また、DOS/V のフォントドライバはフォントファイルをプロテクトメモリに読み込むため、CPU が80186 互換の100LX では使えない。そこで、CGA に対応したディスプレイドライバ(YasNa 氏作のDISPC.SYS)とプロテクトメモリではなくコンベンショナルメモリに読み込むフォントドライバ(Lepton 氏作の$FONTM.SYS)が代わりに使われた。

しかし、フリーソフトだけでは完全に日本語化するのはむりだった。国別情報を管理するCOUNTRY.SYS や日本語FEP をサポートするKKCFUNC.SYS は、DOS/V のパッケージから200LX に持ってこなければならず、日本語を入力するためには市販のWXII+も必要になる。また、日本語のフォントファイルは、DOS/V やPC-98 のフォントを変換して使うか市販のフォントを買うしかなかった。

フリーソフト、DOS/V、変換したフォントなど、さまざまなものを組み合わせて使わなければならないため、この当時のDOS の日本語化はなかなか敷居が高かった。それだけに、苦労して日本語が表示されたときはうれしかったものである。この100LX の日本語環境では、VZ エディタやFD など、DOS/Vでおなじみのアプリケーションが動作した(図1)。

■FONT100.SYS で恵梨沙フォントが利用可能に

📷 図1 DISPC を組み込めばVZ エディタなどで日本語が使える100LX はDOS/V の延長で比較的簡単に日本語化できたものの、$FONTM.SYS とDISPC.SYS を組

み合わせた環境にはいろいろと問題があった。まずメモリの問題。$FONTM.SYS はフォントファイルをすべてコンベンショナルメモリにロードしてしまうため、日本語が表示できる状態での空きメモリは400KB 程度しか残らなかった(*1)。また、kdisp100 やKMEMO で使うELISA.FNT、FONT.14 とは別に、FONTX2 形式のフォントファイルを用意しなければならないのも困った点だ。DOS/V の仕様を受け継いだ$FONTM. SYS とLX シリーズ専用ソフトとして育ってきたkdisp やKMEMO では、使用するフォントファイルのフォーマットが違うのである。

これらの問題を解決するため、kdisp 100 の作者かづひ氏はFONT100.SYS という恵梨沙フォント専用のフォントドライバを開発した。FONT100.SYS は$FONTM.SYS と同様にフォントをコンベンショナルメモリにロードするのだが、ELISA.FNT はサイズが小さいため、第2 水準の漢字まで含めても56KB 程度しかメモリを食わない。これならDISPC.SYS を組み込んでもメモリは500KB 以上残る。 ただし、FONT100.SYS では半角のカナや罫線がきちんと表示できないという問題があった。また、$FONTM.SYS で16 ドットフォントの表示に慣れていた人には、8 ドットの恵梨沙フォントを拡大した表示は少々もの足りなかった。フォントドライバが本格的に改良されるのは、FONT100.SYS よりも少しあとになってからだった。

*1●これは16×16 ドットの全角フォントから第2 水準の漢字を取り除いた場合である。第2 水準も含

めると、空きメモリはさらに少なくなる。

■独自に超高速な日本語表示を行なうLogExpress

$FONTM.SYS とDISPC.SYS によるDOS/V 方式の日本語化では、VZ エディタやFD といったDOS/V 用のアプリケーションがそのまま動作するのが大きなメリットだ。しかし汎用性が高い半面、表示速度は遅くなりがちである。とくに、CPU パワーの低い100LX では、エディタのスクロールで満足のいく速度が出ていなかった。 そんなときに登場したのが、Kei.氏作のLogExpress である(図2)。

LogExpress はその名のとおりパソコン通信のログを読むために作られたテキストビューアで、超高速な表示がウリものだ。速さの秘密は、DOS/V 方式の日本語表示に頼らず、フォントファイルの読み出しや文字の表示などの処理をすべて自力で行なっていることにある。したがって、LogExpress を使うだけならDOS を日本語化する必要もなく、LogExpress 本体とフォントファイルさえ用意すればよい。当時、高価なフラッシュディスクが買えず、100LX の内蔵RAM ディスクだけで使いこなしていた人にとって、LogExpress はとてもありがたいソフトだった。

■柔軟な画面表示ができるyadc

📷 図2 LogExpress は自力で日本語表示を行なう高速なテキストビューアDISPC.SYS は

DOS/C 化に欠かせないソフトだったが、100LX で使うのには不満な点もあった。100LXユーザのみゅう氏が開発したyadc(Yet Another DISPC)というディスプレイドライバは、DISPC. SYS の不満点を解消しており、DOS/C 化の定番ソフトとして瞬く間に普及した。yadc の特徴は、行間を自由に調整して見やすい表示にできること、COUNTRY. SYS が不要なこと(DOS/V を買わなくてもよくなった)、DISPC.SYS よりも表示が高速なことなどである(図3)。yadcはその後も改良を重ね、HP 200LX 日本語化キットのLXDSPD というドライバのもとになった。

■あいつぐフォントドライバの改良

DOS/V のフォントドライバがフォントファイルをプロテクトメモリやコンベンショナルメモリにロードするのは、いちいちハードディスクから読んでいたのでは遅くて話にならないからだ。メモリとハードディスクではアクセス速度の桁が違うので、メモリにロードするのはごく自然な発想だ。しかし100LX では、フラッシュディスクやRAM ディスクにフォントファイルが置かれるため、ハードディスクほど遅くないはずだ。そこで、フォントファイルをコンベンショナルメモリにロードせず、直接ディスクから読み出そうというアイデアが出てきた。

このディスク直読みのアイデアは、kdisp100 の作者のかづひ氏など何人かが考えていたようだが、最初にプログラムとして完成させたのは、まるは氏だった。exfont という名のこのドライバは、$FONTM.SYS の処理の一部を肩代わりして、全角フォントはディスクからじかに読み出すというものだ。exfont の効果はすばらしく、DOS で日本語が表示できる状態で600KB 近い空きメモリが残る。しかし、次のまるは氏自身の発言にもあるように、exfont には制限事項が多く、まだ実験の域を出ていなかった。

00906/00906 QGA01764 まるは ある実験

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93/11/24 04:42

下のVMAP は、私の現在の100LX でのDOS/C 環境です。VMAP Version 2.01 Copyright (C) 989-91 by c.mos addr PSP blks size owner/parameters hooked vectors---- ---- ---- ------ -------------------------- --------------------02CB sys 1 32272 $fontm E5 EB ED F3 F8 FC 0AAD sys 1 7856 yadc 15 16 7D 0C99 sys 1 4400 ansi CON 10 1B 29 0DAD sys 5 14528 <config>113E <-- 4 2832 command 22 23 24 2E 2F 11F3 <-- 1 2448 exfont a:jpnzn16x.fnt 128D-9F00 1 575264 <free>

📷 図3 yadc はDISPC よりも画面行数を柔軟に設定できる。これは16 行表示。

これで16×16 のフォントで、第2 水準まで表示できます。exfont.com で、fontm の機能を一部肩代わりして、ディスク上のフォントデータを使っています。手抜きなので、フォントファイルは連続したクラスタに配置されていなければなりません。(ファイルを再配置する、いいツールありませんか?さすがにこれは自分で作る気 にはならない・・・怖くて)fontm のすべての機能をサポートしているわけではないので、DISPC では使えません。現バージョンのyadc のみ対象です。

当然遅いです。ディスク圧縮ツールを使っていたりすると・・。画面一杯に日本語を表示している人にはつらいものがあるかもしれませんが、画面にたまに出てくる日本語が読めればいい、という人にはいいかもしれません。試してみたいという物好きな方には、掲示板の方にアップしておきます。exfont は、ディスクからフォントを直接読み出してもそれなりの速度が出るということを実証してみせた。ここまで展望が開ければ、あとはexfont の弱点を改良していけばいい。$FONTM.SYS+exfont に代わるフォントドライバを最初に作ったのは、yadc の作者のみゅう氏だった。

01276/01504 GHF03213 みゅう フォントマネージャ出来ました

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93/12/22 23:24 コメント数:2

かねてから言ってたフォントマネージャですが、取り合えず形になったので、公開します。α リリースということで、掲示板に入れておきます。以下が、現在の私のメモリ環境です。MCB PSP Size Owner name Param/Dev Hooked Vectors---- ---- ------- ----------------- ---------- -----------------------02CA 02CB 384 setver SETVERXX 02E3 02E4 10416 fontman $IBMAFNT EB ED F8 FC 056F 0570 8656 yadc $IBMADSP 15 078D 078E 4608 ansi CON F3 08AE 08AF 608 <files>08D5 08D6 256 <fcbs>08E6 08E7 4256 <buffer+>09F1 09F2 2288 <lastdrv>0A81 0A82 1856 <stack> 08 0A 0E 70 0AF6 0AF7 2416 command.com 22 23 24 2E 0B8E 0000 64 <free>0B93 0AF7 272 command.com (*ev)0BA5 0000 160 <free>0BB0 0BB1 113264 vzibmj vzibmj 1.6 1B 21 29 E4 E5 E9 F6 FF

2758 0000     64  <free>275D 275E 119776  atch;bin          KKCFUNC$   09 10 2F
449C 0000    288  <free>
44AF 44B0    368  apkey                        16
44C7 0000 369536  <free>                       DB E7 FD

Vz と WX2+ をはずせば、603552 bytes 空く計算になります。つまり、dos/c 環境下でこれだけのコンベンショナルメモリが使えるわけです。まるはさん、一応こんなかんじになりました。良かったら試してみてくださいね。みゅうこの新しいフォントドライバの名前はfontman といい、$FONTM.SYS に頼らずに単独で動作する。fontman は全角フォントファイルをディスクから直接読み出すのだが、フォントキャッシュを装備しているので高速だ。ファイルをRAM ディスク(C ドライブ)に置いてある場合は、$FONTM.SYS と比べても遜色ない速度が出る。fontman のおかげで、日本語が表示できる状態でも600KB 以上の空きメモリが確保できるようになった。

初期のfontman はFONTX2 形式のフォントファイル専用で、ELISA.FNT やFONT.14 には対応していなかった。せっかくディスクに入れてあるこれらのフォントを使わないのはもったいないということで、ひろ.氏はefm100 というフォントドライバを発表した。これは、ELISA.FNT、FONT.14 とFONTX2 形式の半角フォントに対応しており、FYHP フォーラムのライブラリに登録されているフォントファイルだけでDOS/C 化ができるというものだった。efm100 はfontman の隙間をねらったプログラムだが、じきにfontman のバージョンアップでその隙間はなくなってしまった。efm100 の使命は終わったと判断したひろ.氏は、EMM100 という新しいドライバの開発に着手するのであった。

*次回は「DOS 環境とシステムマネージャ環境の融合」と題し、EMM100 登場以降の話をお送りしよう。

キーマン・インタビュー

清成啓次氏

実をいうと、最初はHP 95LX には興味がありませんでした。しかし、徐々にその魅力にとりつかれ、100LX は即買いましたよ(笑)。

LX シリーズというのは、ユーザがそのまま営業マンになってしまうような製品でしたね。メーカが努力をしなくても、ユーザの盛り上げでその輪が広がっていくという。いちばん大きな広報(?)媒体となっていたのは、やはりNIFTY-Serve でしたね。フォント作成からローカライズまでを、ネットワークを通じたプロジェクトとして完成させた実例としては、日本では初めてだったのではないでしょうか。

NIFTY-Serve のフォーラム(当時のFYHP)では、前回このインタビューに登場したゼロ・ハリ氏とともに、盛り上げ役に徹していました。ただ盛り上げすぎたので、ふたりとも会議室を追い出されることになったのですが(苦笑)。

そこで舞台をFMODEM に移し、LX のクロックアップの話などが出てきたのです。これに興味を持ったユーザが集まって、「世田谷廃人サロン」というものができました。クロックアップの話が盛んになったのは、日本語の変換が遅かったことがいちばんの理由でした。やはり日本語表示マシンとしては非力だったんですね。クリスタルを変えればクロックアップできそうだということで、有志でお金を出し合ってクリスタルを試作してもらったりしていました。クロックアップがうまくいくことが確信できたときに、50 人限定でクロックアップの方法を紹介する場を開催しました。全員が成功しましたね。やはり、速いということはみんなうれしいんです。

しかしクロックアップの話題が盛り上がりすぎて、有志だけでは収拾つかなくなってきました。もちろんみんなに喜んでもらいたかったのですが、有志はみんなサラリーマンということもあり、負担が大きくなりすぎたのです。そんなときに「PC WAVE」という雑誌にクロックアップの方法が詳しく掲載されました。

その号は即売り切れだったそうです。そして、クロックアップの窓口を若松通商さんに委託しました。若松通商の大山氏は、ユーザのことを考えてくれる人だったので、私たちも安心できました。

のちに会議室を通じて知り合った仲間によって、IrDA 対応インターフェイス、メモリ増設キットを開発したわけですが、クロックアップ、メモリ増設にいたってはアメリカなどでまねされるほど盛り上がりをみせました。日本で生まれたキットは、アメリカ、ドイツでも販売されるまでになったのです。ネットワークを通じて開発されたものが、海を渡って評価を受けるなんて画期的な出来事ですよね。

最近の200LX とのつき合いといえば、「ただ普通に使っているだけ」ですね。毎日なにげなく使っている道具のひとつです。逆にいうと「これがないとダメ」ということなんですが。でもLX ユーザは減ってきているかもしれないですね。Libretto のような手のひらサイズPC が出てきたり、機能を絞ったSHARPのWiZ なんかが出てきましたからね。寂しいですが、LX シリーズは200LX で終わりのような気がします。

(インタビュアー:堅木昌宏)
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連載 第5回 Pages 31 - 38
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DOS環境とシステムマネージャ環境の融合

EXMとDOSの壁を越えた協調 / インタビュー:植木正道氏(EXM開発・高速日本語化ドライバ)

HP 200LX Connectivity Pack / 日本語化書籍
写真:当時の熱気を物語る日本語化関連の解説書籍とツール群。

第5回

DOS 環境とシステムマネージャ環境の融合TEXT:寺崎和久前回登場したfontman とyadc によって、DOS の日本語環境も現在の姿に近づきつつあった。しかし、DOS とシステムマネージャの日本語環境はまったく別のアプローチで実現されていたため、まだ両者を共存させるのは困難だった。今回は、DOS とシステムマネージャの日本語環境が歩み寄り、ひとつの環境に融合されていった過程を紹介しよう。

■100LX 用のEMS ドライバがついに登場

当時、DOS とシステムマネージャの日本語化ソフトは、似たような機能を持つものでも別のプログラムとして作られていた(たとえば、表示を行なうyadc とkdisp 100、入力を行なうWXII+とFEP100 など)。yadc とkdisp100 が改良され、両者を同時に組み込むことは問題なくなっていたが、メモリ不足は深刻だった。とくに、WXII+などの日本語FEP の常駐量は大きく、それを組み込んだままではシステムマネージャ上で十分な空きメモリが残らなかった。そこで当時のユーザは、ADDDEV/ DELDEV というユーティリティを使って、DOS 上ではFEP を組み込み、システムマネージャを起動する前にFEP を取りはずすという工夫をしていた。

FEP の常駐量が大きいのは、100LX でEMS メモリが使えないことも影響していた。EMS メモリとは、DOS の640KB のコンベンショナルメモリを補うために考えられた拡張メモリの規格である。EMS 用のメモリ、EMS ドライバ、EMS に対応したアプリケーションを組み合わせて使うと、DOS 上でも640KB を超えるメモリが利用できる。当時のFEP は、コンベンショナルメモリの常駐量を減らすためにEMS メモリを使うのが常識となっていたのだ。たとえば、WXII+はEMS がなければコンベンショナルメモリを126KBも使ってしまうが、EMS があれば21KB ですむようになる。

EMS メモリの仕組みは、ページフレームという名の16~64KB の大きさの「窓」を用意し、その窓を通して広大な拡張メモリにアクセスするというものだ。窓の位置は固定だが、窓からみえるメモリはアプリケーションが好きなように切り換えられるため、使える拡張メモリの量はほとんど無制限に大きくできる。EMS メモリを使うためには、このようなメモリウィンドウの仕組みを備えた「ハードウェアEMS ボード」をつけるか、i386 以上のCPU の機能を利用してプロテクトメモリをEMS に見せかけることになる(このようにソフトウェアの処理でハードウェアEMS ボードの機能を実現したものを「仮想EMS」という)。

しかし、100LX のCPU は80186 相当なので仮想EMS は逆立ちしても実現できないし、ハードウェアEMS ボードを差すこともできない。そこで、ひろ.氏が考えたのは、ページフレームはコンベンショナルメモリ内に置いて、拡張メモリに見立てたファイルの内容を逐次ページフレームとの間でコピーするという手だ。ファイルをメモリの代わりに使う手法はexfont やfontman ですでに実現されており、そこそこの速度で動くという確証があった。EFM100 の次のネタを探していたひろ.氏はすぐに作りはじめ、EMM100 Version 0.10 としてFYHP フォーラムで発表した。

EMM100 Version 0.10 を公開してすぐに、ひろ.氏のもとにkdisp100 のかづひ氏から1 通のメールが届いた。そこには、100LX はハードウェアEMS 相当の機能をはじめから備えており、C ドライブの内容をメモリウィンドウを介して読み書きできるという驚くべき情報が書かれていた(リスト)。リストでは省略しているが、メールにはかづひ氏独自の解析結果も書かれており、100LX のメモリウィンドウを操作するには十分な情報であった。

ひろ.氏はさっそくこの情報を取り入れ、C ドライブに置いたEMS 用のファイルをメモリウィンドウから高速にアクセスするようにEMM100 を改良した。これでEMS メモリのアクセス速度が向上し、FEP をEMS に組み込んでもそこそこ満足できる速度で動くようになった。ただし、ページフレームはまだEMM100 の常駐部に置かれていたため、速度は改善されても常駐量は減らなかった。しかし、これはEMM100 の改良の過程にすぎなかった。かづひ氏のメールには、100LX のハードウェアはメモリウィンドウの機能を備えており、そこをEMS のページフレームとして使える可能性があることを示唆していた。問題は、100LX のシステムとEMM100 の間で、メモリウィンドウの奪い合いが起こることである。メモリウィンドウは100LX が標準でROM に搭載しているアプリケーションを実行するためにも使われており、EMM100 が勝手にメモリウィンドウをいじるとアプリケーションが正常に動作しなくなってしまうのだ。

ひろ.氏はこの問題をある程度解決した時点で、EMM100 Version 0.30 を公開した。このバージョンではページフレームをコンベンショナルメモリの外に追い出すことに成功し、EMS メモリのアクセス速度も劇的に向上した。ついに、100LX では実現不可能と思われていた本もののEMS が利用できるようになったのである。Version 0.30 では内蔵アプリケーションとDOS プロンプトを往復したときの動作に問題があったが、その後のVersion 1.00 では完全に解決された。

当時、DOS とシステムマネージャの日本語化ソフトは、似たような機能を持つものでも別のプログラムとして作られていた(たとえば、表示を行なうyadc とkdisp 100、入力を行なうWXII+とFEP100 など)。yadc とkdisp100 が改良され、両者を同時に組み込むことは問題なくなっていたが、メモリ不足は深刻だった。とくに、WXII+などの日本語FEP の常駐量は大きく、それを組み込んだままではシステムマネージャ上で十分な空きメモリが残らなかった。そこで当時のユーザは、ADDDEV/ DELDEV というユーティリティを使って、DOS 上ではFEP を組み込み、システムマネージャを起動する前にFEP を取りはずすという工夫をしていた。

FEP の常駐量が大きいのは、100LX でEMS メモリが使えないことも影響していた。EMS メモリとは、DOS の640KB のコンベンショナルメモリを補うために考えられた拡張メモリの規格である。EMS 用のメモリ、EMS ドライバ、EMS に対応したアプリケーションを組み合わせて使うと、DOS 上でも640KB を超えるメモリが利用できる。当時のFEP は、コンベンショナルメモリの常駐量を減らすためにEMS メモリを使うのが常識となっていたのだ。たとえば、WXII+はEMS がなければコンベンショナルメモリを126KBも使ってしまうが、EMS があれば21KB ですむようになる。

EMS メモリの仕組みは、ページフレームという名の16~64KB の大きさの「窓」を用意し、その窓を通して広大な拡張メモリにアクセスするというものだ。窓の位置は固定だが、窓からみえるメモリはアプリケーションが好きなように切り換えられるため、使える拡張メモリの量はほとんど無制限に大きくできる。EMS メモリを使うためには、このようなメモリウィンドウの仕組みを備えた「ハードウェアEMS ボード」をつけるか、i386 以上のCPU の機能を利用してプロテクトメモリをEMS に見せかけることになる(このようにソフトウェアの処理でハードウェアEMS ボードの機能を実現したものを「仮想EMS」という)。

しかし、100LX のCPU は80186 相当なので仮想EMS は逆立ちしても実現できないし、ハードウェアEMS ボードを差すこともできない。そこで、ひろ.氏が考えたのは、ページフレームはコンベンショナルメモリ内に置いて、拡張メモリに見立てたファイルの内容を逐次ページフレームとの間でコピーするという手だ。ファイルをメモリの代わりに使う手法はexfont やfontman ですでに実現されており、そこそこの速度で動くという確証があった。EFM100 の次のネタを探していたひろ.氏はすぐに作りはじめ、EMM100 Version 0.10 としてFYHP フォーラムで発表した。

EMM100 Version 0.10 を公開してすぐに、ひろ.氏のもとにkdisp100 のかづひ氏から1 通のメールが届いた。そこには、100LX はハードウェアEMS 相当の機能をはじめから備えており、C ドライブの内容をメモリウィンドウを介して読み書きできるという驚くべき情報が書かれていた(リスト)。リストでは省略しているが、メールにはかづひ氏独自の解析結果も書かれており、100LX のメモリウィンドウを操作するには十分な情報であった。

かづひ氏がひろ.氏に送ったメールの一部(……前略……)それで、私もあれから色々と試したのですが、実は! 私は1つすっごい思い違いをしていたのでした。 それは、C:のRamは、以前実験した時には直接Ramとして書き換えたら、次回の Power-ON 時に「C:が壊れてまっせー」メッセージが出て、強制イニシャライズがかかったんですよ。 それで、ずーっとそう思ってたんですけど、最近実験したら、どうもそうはならない。 つまり、「C:のRamは、直接書き換えてもいい!」という結論なんです! これこそ私達が求めていたもの! でしょでしょ?それと、実はHP100LXには、LIM-EMS相当のハードウェアは¦最初から載っています。

それも、メモリウィンドゥは、16K*8, 64K*1 も持っています。 しかし、普段は SystemManagerがガッチリ管理していて、勝手に触れません。 でも、自分が使う時だけレジスタ値を変えて、使った後はすぐに戻すようにすれば大丈夫なので、今のようにメインメモリに物理ページを割り当てておいて、そこに Memory to Memory のコピーをするような形でなら利用は可能です。(……後略……)

ひろ.氏はさっそくこの情報を取り入れ、C ドライブに置いたEMS 用のファイルをメモリウィンドウから高速にアクセスするようにEMM100 を改良した。これでEMS メモリのアクセス速度が向上し、FEP をEMS に組み込んでもそこそこ満足できる速度で動くようになった。ただし、ページフレームはまだEMM100 の常駐部に置かれていたため、速度は改善されても常駐量は減らなかった。しかし、これはEMM100 の改良の過程にすぎなかった。かづひ氏のメールには、100LX のハードウェアはメモリウィンドウの機能を備えており、そこをEMS のページフレームとして使える可能性があることを示唆していた。問題は、100LX のシステムとEMM100 の間で、メモリウィンドウの奪い合いが起こることである。メモリウィンドウは100LX が標準でROM に搭載しているアプリケーションを実行するためにも使われており、EMM100 が勝手にメモリウィンドウをいじるとアプリケーションが正常に動作しなくなってしまうのだ。

ひろ.氏はこの問題をある程度解決した時点で、EMM100 Version 0.30 を公開した。このバージョンではページフレームをコンベンショナルメモリの外に追い出すことに成功し、EMS メモリのアクセス速度も劇的に向上した。ついに、100LX では実現不可能と思われていた本もののEMS が利用できるようになったのである。Version 0.30 では内蔵アプリケーションとDOS プロンプトを往復したときの動作に問題があったが、その後のVersion 1.00 では完全に解決された。

■システムマネージャとDOS で同じFEP が利用可能に

EMM100 の登場で、FEP の常駐量が減らせるようになり、FEP を組み込んだままシステムマネージャを起動するのも楽になった。そうなると、システムマネージャ上でもDOS のFEP を使いたくなるものである。DOS ではWXII+やATOK、システムマネージャではFEP100 という使い分けをしていると、辞書ファイルのディスクスペースが増えるし、辞書の学習も別々に行なわなければならない。また、操作性の違うFEP を使い分けるのも、意外とめんどうなものである。

DOS とシステムマネージャのFEP を統一する試みは、まずDOS プロンプトでFEP100 を使えるようにするというアプローチで行なわれた。kdisp100 の改良で、システムマネージャ下のDOS プロンプトではFEP100 が使えるようになった。生のDOS に降りる必要がなければ、システムマネージャとDOS で同じFEP が使えるわけだ。KaZoo 氏の作ったIME100 は、これとはまったく逆のアプローチを取った。つまり、システムマネージャ上でDOS 用のFEP を使えるようにするためのソフトである(図1)。

そもそもシステムマネージャでDOS のFEP が使えないのはなぜだろう? システムマネージャもDOS 上で動作するアプリケーションの1 種なので、普通にWXII+などで入力できてもよさそうなものである。これはおもに画面表示の違いに原因がある。DOS 用のFEP はDOS/V のテキストモードしかサポートしていないのに、システムマネージャはグラフィックスモードで表示している。このため、システムマネージャ上ではFEP が起動しないのだ。

そこでIME100 が取ったのは、DOS 用のFEP のかな漢字変換の機能だけを使い、システムマネージャ上での画面表示とキー入力はIME100 がめんどうをみるという方法だ。幸い、WXII+、ATOK8、VJE-β などのFEP は、外部から制御するためのAPI(Application Interface)を備えていたので、特定のFEP に依存しない形でIME100 を実現できた。これはちょうど、Windows 3.1 に付属していた「MS-KANJI インターフェースかな漢字変換(MSKANJI.EXE)」と同じ手法である。MSKANJI.EXE は、当時少なかったWindows 専用のIME の代わりに、種類の豊富なDOS 用のFEP をWindows 上で使えるようにするためのものだ。MS KANJI.EXE とIME100 は、どちらもMS-KANJI インターフェイスというAPI を利用してDOS のFEP をコントロールしていた。

IME100 は、FEP100 と同様にEXM アプリケーション(システムマネージャ専用の実行形式)として作られていた。起動キーが押されるとIME100 にタスクスイッチし、変換結果を確定した時点で再びアプリケーションに戻ってキー入力を行なうという手法は、FEP100 から受け継いでいる。このように、IME100 はさまざまな技術を組み合わせて作られた高度なソフトだったのだ。

■kdisp とは違ったアプローチの日本語表示

📷 図1 DISPC を組み込めばVZ エディタなどで日本語が使える本連載の第3 回で登場したkdisp100 は、

95LX で行なわれていた日本語化の手法を100LX に応用したものだ。漢字は、8×8 ドットの恵梨沙フォントを横倍角化(8×16 ドットに拡大)して表示している。しかし、100LX の表示能力からすれば、もっとドット数の高いフォントでも表示できるはずだ。恵梨沙フォントはもともと95LX のために作られたフォントなので、必ずしも100LX には最適ではなかったのだ。そこで、システムマネージャの表示にもFONT.14(14×14 ドットフォント)を使おうとして作られたのが、まるは氏のdsp14 である。図2 と図3 のように、kdisp 100 とdsp14 の表示の違いは歴然としていた。

しかし、まるは氏はあまり手間をかけずにdsp14 を作り上げたため、自身ではさほどすごいプログラムと思っていなかったようだ。dsp14 の最初のバージョンはβ 版ライブラリにアップロードされ、まるは氏は会議室にアナウンスもしなかった。だが、dsp14 の話で会議室が盛り上がるのは時間の問題だった。dsp14 をダウンロードした人たちはその見やすさに驚き、次々と会議室に感想を書きはじめたからである。dsp14 とkdisp の違いは、表面的には表示するフォントの種類だけである。だが、実はdsp14 の日本語表示の内部的な仕組みは、kdisp100 とは大きく違っていたのである。kdisp100 は、かづひ氏が独自に100LX のROM を解析し、その情報をもとにして作り上げたものだ。そのため、ROM バージョンへの依存度が高く、100LX のROM の微妙な変更に合わせてkdisp100 を改造しなければならないこともあった。kdisp100 は、かづひ氏以外には作り難いプログラムである。

それに対してdsp14 では、ROM バージョンへの依存度の低い、より素直な方法で日本語表示を行なっている。かづひ氏がkdisp100 を作ったときには100LX の技術情報はほとんど明らかにされていなかったが、まるは氏がdsp14 を作ったときには状況が変わっていた。そのことも、kdisp 100 とdsp14 の違いに影響しているといえよう。

📷 図2 kdisp100 の日本語表示(恵梨沙フォント)
📷 図3 dsp14 の日本語表示(FONT.14)

のちに100LX の後継機200LX が登場したとき、kdisp100 は使えなくなってしまったが、dsp14 は問題なく使用できた。また、dsp14 を使えば、Connectivity Pack(PC/AT 互換機上で動作する100LX 互換のPIM ソフト)も日本語化できた(図4)。これらの事実が、dsp14 の汎用性の高さを物語っている。

■100LX の最初の解説書「HP 100LX 徹底活用ブック」の出版

HP 100LX徹底活用ブックISBN:4893692860 233p 24×19cm ビー・エヌ・エヌ (1994-04-05 出版)

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FMODEM携帯端末研究会【著】

[B5 判] NDC 分類:007.6 販売価:\2,548(税込) (本体価:\2,427)第1章 HP 100LXは電子手帳ではなくコンピュータ第2章 HP 100LX内蔵アプリケーションの日本語化第3章 HP 100LXのDOS/Cによる日本語化第4章 日本語化内蔵アプリケーションを骨までしゃぶる第5章 HP 100LXのファイル転送機能第6章 HP 100LXとパソコン通信第7章 HP 100LXをゲームボーイも真っ青のゲームマシンにする第8章 HP 100LX関連周辺機器オンパレード第9章 こ、ここまでやるかぁ!HP 100LX廃人たちの生態付録 「HP 100LX徹底活用ディスク」について日替わりでソフトが改良されていくような当時の状況は、開発している側はもちろんのこと、ユーザにとっても非常にエキサイティングだった。100LX は急激にユーザ数を増やし、FYHP の会議室は100LX関連の書き込みであふれた。振り返ってみると、このころがマイナーからメジャーへの転換期だったようだ。

ここまでくれば、だれかが100LX の書籍を出版しようと思っても不思議はない。FMODEM(モデムフォーラム)のメンバーが中心となって、「HP 100LX 徹底活用ブック」(通称「百徹本」)という記念すべき書

📷 図4 dsp14 を使えばConnectivity Pack でも日本語を表示できた籍が出版されることとなった(写真)。これは当時のユーザの熱気をそのまま反映したような本で、日本

語化、改造、ハードウェア工作、100LX の耐久テストなど、マニアックな情報があふれていた。徹底活用ブックは爆発的にヒットし、100LX のユーザ数を増やすことにも貢献した。当時からパソコン誌でライターをしていた筆者も、100LX を購入してすぐに100LX の書籍を出版したいと思うようになった。徹底活用ブックは遊び心にあふれた本だったので、それとは逆に実用に徹した本を企画した。そこで思いついたのが、FYHP の会議室で100LX のTips(ちょっとした活用のコツ)を集めることである。多くのメンバーに協力していただき、この書籍には100 本ものTips を掲載することができた。これが、FYHPPC(当時)公認の書として多くの人に親しんでいただいた「HP 100LX/200LX BIBLE」である。

このころから100/200LX 関連書籍の出版ラッシュが始まり、最終的には10 冊ものLX 関連書籍が出版されることになった。ここまで100LX が盛り上がるとは、当時は考えもしなかったものである。*前回登場したyadc、fontman に今回登場したEMM100、IME100、dsp14 が加わり、「HP 200LX 日本語化キット」のベースとなるソフトがひととおりそろった。次号最終回では、これらのソフトが改良され、日本語化キットが完成するまでの話をお伝えする。

キーマン・インタビュー

紀伊国屋書店 植木正道氏

もともと紀伊國屋内の売り場で、HP 社製電卓を扱っていました。91 年の春ごろ、あるお客さんから「HP の95LX が欲しい」といわれたのですが、なんのことか分かりませんでした。Lotus 1-2-3 が入っているとのことなので、当時出ていた東芝のワープロ機と勘違いしているのだろうと思ったくらいです(笑)。しかし、ほかにもLX が欲しいというお客さんが出てきまして、HP のマーケティング担当者に問い合わせました。それでようやく正体がつかめました。私とHP LX シリーズとの出会いです。

自分自身のことを少しお話しすると、典型的な文系人間で、パソコンなんて少しも興味がありませんでした。それが、HP 電卓の担当だったこともあり、LX を買っていかれたお客さんが、いろいろと教えてくれるのです。「あぁ、こんなことができるんだ」と興味を持ちはじめ、さらにパソコンとも連携できるらしいということを知り、お店のシステムと連携させようとかいろいろ考えました。LX がパソコンを使うきっかけになったのです。

パソコンに興味を持ってなかった私のような人間が、お客さんやHP の方々の助けもあり、どんどん使えるようになっていったんですね。使えるようになるとうれしいんですよ。そのうれしさをみなさんにも伝えたいというのはありましたね。

私にとって、お客さんというのはとても大きな存在でした。お客さんと食事に行ったりして、するとそこでお客さんが新しいソフトを教えてくれたりするんです。それからNIFTY-Serve の存在も大きかったです。パソコン通信とお客さんに大きくしてもらったマシンだと思います。

最近、小さなパソコンがいろいろと出てきていますが、そのきっかけとなったのがLX といっても過言ではないと思います。私自身、LX に愛情を持っています。これがWindows CE で終わってしまうのは、とても寂しいです。おおげさですが、LX は私にとって、人生が変わるくらいのものでした。

LX も含め、毎日持ち歩くPDA というのはバランスが大切ですよね。なにを活かしてなにを切るかという。LX はWindows を切ったのです。DOS ベースで動くマシンですから、だれもが買ってすぐに使いこなせるものではありません。でも使いこなせたときが、ほんとうにうれしいんです。

次のビジョンとしては、やはり紀伊國屋という看板を背負っていますから、会社の利益になることをしなくてはいけないと思っています。まずは、もっとたくさんの人にパソコンを使ってもらいたいですね。

PDA については今後どうなっていくか分かりませんが。販売を通してユーザのニーズを反映させて商品のマーケティンク、企画、コンサルティングをしていくことをモットーに、これからもやっていきたいと思っています。

(インタビュアー:関谷博之、堅木昌宏)
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連載 最終回 ★注目 Pages 39 - 46
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HP 200LXと日本語化キットの発売

有志のネット開発から商用パッケージ化へ / ★独占インタビュー:北角権太郎氏(日本語化キット開発元)

北角権太郎氏 インタビュー掲載誌面
写真:『HP 200LX 日本語化キット』の開発秘話を語る北角権太郎氏(連載最終回)。

最終回

200LX と日本語化キットの発売TEXT:関谷博之HP 100LX の日本語環境は急速に進化を遂げ、着実にユーザを増やしつつあった。だが、初心者の比率が上がるにつれて、複雑な200LX の日本語化の作業を自力でできない人も多くなっていた。だれでもインストールできるぐらい簡単にならないものか、そう思った日本語化ソフトの作者が集まり、「HP 200LX 日本語化キット」の開発が始まった。

■日本語化キットの開発がスタート

HP 200LX 日本語化キットの開発は、北角権太郎(ハンドル名:ごんたろ)氏の呼びかけで始まった。古くからのLX ユーザでもあった北角氏は、日本語かソフトのインストールが難しく、それが原因で100LX が広く普及しないのを残念に思っていた。月刊アスキーの1993 年12 月号の付録ディスクに日本語化ソフトが収録されることになったとき、北角氏はソフトをLX に転送するためのインストーラを作成していた。すでにこのころから、日本語化ソフトをパッケージ化してインストールを簡単にする構想があったようだ。

また、ユーザ数が増えるにつれてサポートの手間もかかるようになり、フリーソフトウェアのままでは作者の負担が大きすぎることも問題になっていた。製品化して作者に正当な報酬を還元することも、北角氏がパッケージ化を考えたときの目的のひとつだった。北角氏はオカヤ・システムウェアという会社を経営しており、製品化プロジェクトのリーダに最適な人物であった。北角氏は流通ルートの確保、原価計算、バンドルソフトの供給元との折衝など、やらなければならないことがたくさんあったため、開発者のまとめ役をひろ.氏に依頼した。ひろ.氏は開発者の連絡用にホームパーティを開き、当時の日本語化ソフトの作者に趣旨を説明して集まってもらった。こうしてHP 200LX 日本語化キットの開発が始まったのだ。

ひろ.氏がホームパーティを開いたのは6 月末のことだったが、200LX の発売が9 月1 日に予定されていたため、それと同時に発表するとなると作業期間は3 ヶ月もない。そこで、当初はフリーソフトウェアをほとんどそのまま収録し、インストーラをつけるぐらいのつもりだった。最終的には、市販ソフトとしての完成度と魅力を高めるために徹底的な改良を行うことになるのだが、そんなたいへんな作業になろうとは、だれも予想していなかった。

■DOS の日本語化ソフトの改良

DOS の日本語化ソフトについては、みゅう氏の「fontman」と「yadc」をベースにして開発することになった。fontman とyadc はすでにほとんど完成の域に達していたため、みゅう氏のやるべきことはそう多くなかった。フォントドライバのfontman は、全角フォントと半角フォントの療法をコンベンショナルメモリにロードせずにC ドライブから直接読めるように改良された。また、恵梨沙フォントとFONT.14 という独自形式のフォントへの対応をやめて、FONTX2 形式のフォントだけを扱うように仕様変更された。

みゅう氏のもうひとつの作品、ディスプレイドライバのyadc は、画面モードを柔軟に設定できる半面、複雑なオプションが初心者には分かりにくかった。そこでみゅう氏は、オプションを整理するとともに、画面モードをメニュー形式で選択するユーティリティを新たに開発した(図1)。みゅう氏の仕事はここで一段落したのだが、ほかの開発者が必死で開発している中で、ただ待っている気にはならなかったのだろう。みゅう氏の余った労力は、さらに機能を追加することに傾けられた。ディスプレイドライバには、テキスト画面のズーム機能が追加された。たとえば図2-上の画面で[ZOOM]キーを押すと、図2-下のように画面の一部が拡大表示されるのだ。もちろん、このままアプリケーションを操作できるし、画面からはみ出した部分をスクロールしてみることもできる。

また、一部のアプリケーションが使用しているエスケープシーケンスをサポートするために、みゅう氏はANSI.SYS 互換のドライバも新規に開発することになった。みゅう氏が依頼されてから数日で完成させてしまったのには、驚かされたものである。

■EMS ドライバの改良

ひろ.氏のEMS ドライバ「EMM100」も、フリーソフトウェアの段階でほとんど完成していた。200LX で使うには若干問題があったが、それは簡単な修正で対応できてしまった。ただし、EMM100 が使うEMS の領域を確保するためのプログラム「MAKEEMS」には、市販ソフトとしては不親切なところが残っていた。MAKEEMS を実行する前に、あらかじめファイル配置最適化ソフトなどでディスクの空き領域を連続化させておく必要があったのだ。たとえファイル配置最適化ソフトを日本語化キットにバンドルしたとしても、これでは使い勝手が悪い。そこでひろ.氏は、MAKEEMS にディスクの空き領域を連続化させる機能を持たせ、この問題を解決した。しかし、そのためにはディスクの管理領域を直接操作しなければならないため、ちょっとでもミスがあるとファイルを失うことになる。ひろ.氏は開発過程でディスクを何度も飛ばしながら、バグをなくしていったという。

📷 図1 画面モードを選択するためのユーティリティ
📷 図2 上の画面で[ZOOM]キーを押すと下のようにズームされる

■DOS 上での日本語入力

フリーソフトウェアだけで日本語表示が可能になっていた100LX だが、DOS で日本語を入力するためには市販の日本語FEP が必要だった。当然、日本語化キットにも日本語FEP をつけなければならないわけだが、開発期間が短い中でいちから開発するのはむりがある。そこで、100LX ユーザに定評のあった「WXII+」の機能限定版をバンドルすることになった。しかし、WXII+を使うためには、KKCFUNC.SYS という日本語版のDOS に付属するドライバも必要だった。これは100/200LX のDOS には入っておらず、WXII+にも付属していない。そこで、ひろ.氏がKKCFUNC.SYS 互換のドライバを作ることになった。さいわい、ひろ.氏は日本語化キットと同時進行で執筆していた「HP 100LX/200LX BIBLE」の付録として、同じ機能のドライバを開発中だったため、開発の手間はほとんどかからなかった。

■システムマネージャの日本語化ソフトの改良

DOS の日本語化はDOS/V 系の技術が応用できるのに対して、システムマネージャの日本語化は手探りでシステムマネージャの動作を解析し、適切な手法で日本語化しなければならない。暗闇で模型を組み立てるような、地道な作業が必要になる。その点でもっとも苦労したのは、システムマネージャ用のディスプレイドライバを担当したまるは氏だろう。まるは氏はフリーソフトの「dsp14」という日本語表示ドライバを作っていたため、システムマネージャで日本語を表示するノウハウは持っていた。しかし、製品化にあたって完成度を高める過程には、さまざまな障害が待ち受けていたのだ。

まず、まるは氏が苦労したのが、文字化けをなくすことだ。システムマネージャ上で漢字を表示すると、漢字が画面の境界に位置したときに文字が化けることがある。システムマネージャは日本語のことなど考慮していないため、漢字の1byte 目だけを表示しようとするからだ。これを解決するためには、漢字の1byte 目と2bypte 目が組みになっていないときには表示しないといった工夫が必要になる。システムマネージャが漢字のことを考慮していないために起こる問題はまだある。エディタで文字を削除するとき、日本語環境なら[BS]キーや[DEL]キーを1 回押すだけで漢字が削除できてあたりまえだ。しかし、素のままのシステムマネージャでは、漢字は半角2 文字分として扱われるため、[BS]キーや[DEL]キーを2 回押さなければならない。カーソル移動に関しても同様だ。そこでまるは氏が取った手は、画面に表示されているも字をすべて覚えておいて、漢字が削除されるときは[BS]キーや[DEL]キーが2 回押されたことにするというものだ。こう説明すると単純なようだが、もともと日本語のことを考慮していないシステムで日本語を完璧に編集するためには、とてつもない労力が必要なのである。まるは氏は、リリース直前まで改良を重ね、ほぼ完璧に日本語が編集できるように仕上げた(図3)。

システムマネージャ上で日本語を入力するためのソフトは、IME100 の作者のKaZoo 氏が作ることになった。IME100 はシステムマネージャの1 タスクとして動作するため、アプリケーションに文字を入力するたびにタスクが切り換わって速度低下の原因になっていた。また、アプリケーションを多数起動した状態では、メモリ不足でIME100 が起動しないという問題もあった。そこで、メモリに常駐してIME100 と同じような処理をするドライバを新規に開発することになった。ほかの作者が既存のドライバを改良するのに対し、新規に開発するKaZoo 氏の負担は大きかったが、KaZoo 氏はそれほど時間をかけずに作り上げてしまった。

さらに、まるは氏のアイデアで、画面にカーソルが表示されていないときはFEP をOFF にするという機能が追加され、FEP を手動でOFF にしなくてもプルダウンメニューを操作できるようになった。まるでシステムマネージャ自体がFEP を制御しているような、快適な日本語入力環境が実現されたのだ。まるは氏の日本語表示ドライバとKaZoo 氏の日本語入力ドライバは、動作中のアプリケーションの種類によって、動作を少しずつ変えている。たとえば、AppManager では罫線の化けを防ぐために半角カナの表示を無効にしている。そのような個別対応を行うためには、現在どのアプリケーションが起動しているのかを知る必要がある。そのためのタスク判定機能を個々のドライバに組み込むのはむだなので、タスク監視部分だけを独立させたドライバをひろ.氏が作ることになった。ひろ.氏はEMS ドライバの

📷 図3 システムマネージャ上の日本語表示と日本語入力開発が一段落していたため、軽い気持ちで引き受けたのだが、実はこれがたいへんな作業だった。当

初考えていた方法ではすべてのタスク切換えを把握できなかったため、システムマネージャの動作を解析し、試行錯誤をくり返さなければならなかったのだ。

■日本語フォントの作成

当初、日本語フォントには「恵梨沙フォント」を使用する予定だったが、途中で開発者の間に「横8 ドットの恵梨沙フォントではなく、100LX に適した横16 ドットのフォントを用意すべきではないか」という議論が起こった。そこで、恵梨沙フォントプロジェクトのリーダで、日本語化キットの開発にも参加していたYAFO氏が、新規に横16×縦8 ドットのフォントを作ることになった。リリースまでに残された時間はわずかだったので、とりあえず第1 水準の文字だけでも完成させ、あとから完成版を配布するという手も考えられていた。しかし、驚くべきことに、YAFO氏は短期間のうちに第2 水準を含めたすべての文字を完成させてしまったのだ(図4)。

縦8 ドットフォントは25 行モードの画面で使われるもっとも基本的なフォントだが、200LX にはほかのサイズのフォントも必要だ。システムマネージャ上での表示には縦11 ドットフォントがあるとDOS の画面や日本語FEP の変換行が十分見やすくなる。縦16 ドットフォントについては、以前にオカヤ・システムウェアオカヤ・システムウェアものを流用することになった。よく探せば、駅前の電光掲示板に200LX と同じ文字が表示されているものがあるそうだ。

ただし、このフォントは旧JIS 準拠だったため、BYMF氏が新JIS に準拠するよう一部の字体の変更と文字の入れ換えなどを行った。残る11 ドットフォントの既製品はなかったため、これはいちから作るしかなかった。まず、縦16 ドットフォントを機械的に縦11 ドットに変形させてみたのだが、それでは見にくい文字がたくさんできてしまう。そこで、変形させたものをBYMF氏が手作業でコツコツ直すことになった。しかし、これは最初のリリースには間に合わず、のちに日本語化キットが1.10 にバージョンアップしたときに配布されることになる。

■200LX と日本語化キットの共同記者発表

開発も終盤にさしかかったとき、ひとつのうれしいニュースが開発者に伝えられた。これはではユーザの日本語化にほとんど手を貸さずにきた横川・ヒューレット・パッカード(YHP。現日本ヒューレット・パッカード)が、200LX と日本語化キットの記者発表を共同で行いたいと申し出てくれたのだ。日本語化キットが事実上公認されるということで、開発者にとっても喜ぶべき話だった。オカヤ・システムウェア日、会場の主催者席には、YHP の代表者、オカヤ・システムウェアの北角氏、ユーザ代表としてFHPPC フォーラムシスオペのNORI氏が並んでいた。記者発表の席にユーザ代表が招かれるというのは、これまでにない画期的な出来事である。会場には記者も大勢詰めかけ、今後の200LX の成功を予感させるものとなった。

📷 図4 YAFO氏がデザインした16×8 ドットフォント発表から2 ヶ月近くたった10 月25 日、ついに日本語化キットが発売された(当初は200LX との同時

発売を目指していたが、追加機能が安定することを優先したため、発売が延期された)。初回に用意した2,000 本が売れるかという不安もあったのだが、そんな心配をよそに、あっという間に売れてしまった。94 年11 月8 日には、日本語化キットをプリインストールしたF オカヤ・システムウェアの発売を記念して、エプソン販売とオカヤ・システムウェアの主催でパーティが開かれた。実は、日本語化キットの開発者は全国に散らばっており、実際に全員が顔を合わせるのはこのときが初めてだった。ネットワーク上でソフトウェアの開発が行われ、しかも短期間のうちに完成したのは、実に画期的なことだ。こうして、ユーザが行なってきたLX シリーズの日本語化は、大きな区切りを迎えることとなった。

*これで200LX の日本語化の歴史は終わりです。執筆にあたって、日本語化ソフトの作者の皆様やインタビューを受けていただいたキーマンにたいへんお世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

★ 開発者独占インタビュー

オカヤ・システムウェア 北角権太郎氏

もともとHP の電卓にハマっていて、48SX という電卓を愛用していました。LX シリーズには、科学電卓から入っていったんです。ちょうど30 歳になったころでした。

30 歳というと、新しい知識が入りにくくなるといわれるころですが、30 歳のときにHP の電卓と、数学、物理の勉強をしなおしました。HP の電卓のすごいところは、虚数が出るんですよ。ふつうエラーが出るところを。なぜこうなるのか、という解答が得られるんですね。そこに魅力を感じていました。

それからNIFY SERVE のFYPC フォーラムと出会うことになります。そこでHP のLX 担当者と知り合ったりして、電卓の話に花が咲きましたね。

本業のほうでは、サラリーマンに携帯端末を持たせてなにかできないか、ということを考えていました。発売された当時の95LX は日本語が表示できるレベルではなかったのですが、コンセプトは素すばらしいと思っていました。ですから100LX が出たときは、もう出た瞬間に買いましたね(笑)。

当時はまだ、仕事と携帯端末を結びつける文化がありませんでしたから、なんとか日本語化しようと思いました。これはアプリケーションで補えると思っていたんです。企業向の発想ですね。日本語化については、恵梨沙フォントが終盤を迎えようとしていました。完全にタッチはできませんでしたが、フォント作成ツールなどで支援はしていましたので、かかわりは常に持っていた感じです。

漢字が表示、入力できるようになると大反響を呼びましたね。われわれユーザとしても、もっとこの機械をたくさんの人に知って、使ってもらいたいと思いました。そこで、日本語化のツールを雑誌の付録に収録してもらおうということになったんです。

月刊ASCII の遠藤氏にも協力していただき、フォントもあわせて日本語化のフリーソフトを収録してもらえることになりました。われわれとしては、95LX あっての100LX だと思っていたので、95LX、100LX両方のアプリを収録したかったのですが、容量的に厳しかったのです。当時の雑誌の付録はフロッピーディスクでしたからね。そこで、インストーラの中にドライバをバイナリで全部入れるという強行手段に出ました(笑)。こうすれば、一部を切り離すことができなくなりますからね。これをきっかけに、LX ユーザも10 倍くらいに増えました。

ただ、ユーザが増えれば増えるほど、サポートがたいへんになってくるんです。もともとフリーソフトでやっていた日本語化キットですが、サポートする側も本業をもっていたりするわけですから。でも、だれかがサポートをしなければ200LX が伸びていかないだろうということで、どこかが日本語化キットをパッケージ化して、製品として売り出す必要が出てきたわけです。それがわれわれの会社、オカヤ・システムウェアなんです。日本語化キットを売る、というよりも、正式にサポートの窓口になりましょう、というスタンスです。

この日本語化キットを作っているときは、おもしろかったですね。みんな「エンジニア」なんですよ。いい意味でおたがいがライバル意識をもっている。あれだけたくさんの人間が集まってひとつのものを作り上げるということは、今後は出てこないでしょうね。1 ヶ月ほどで、パッケージ製品が完成しまして、200LX の日本発売の発表と同時に日本語化キットも発表できたのです。

いまでも200LX は使っています。自分で使いたいようにカスタマイズできるというのが、いちばんの魅力ですね。携帯端末は、「割り切り」が必要だと思うんです。200LX は、割り切り方が美しいマシンですね。

(インタビュアー:関谷博之、堅木昌宏)
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HP 200LXから始まった赤外線通信革命
―― IrGEAR と IrSTICK

オカヤ・システムウェアからリンク・エボリューションへ。 モバイル通信の「最後の壁」を打破し、世界標準(米国IrDA会長)へと駆け上がった北角権太郎氏の革新ハードウェア。

1990年代半ば、HP 100LX/200LX は本体側面に IrDA(赤外線通信)ポート を標準搭載した極めて先進的なパームトップPCでした。しかし当時、外出先からインターネットやパソコン通信に接続するには、携帯電話(PDC方式)と分厚いPCカードモデム、そして長くかさばる専用ケーブルをカバンの中で絡ませながらつなぐ「ケーブル地獄」を強いられていました。

「携帯端末と通信を結びつけ、もっと自由で軽快なモバイル環境をつくりたい」――。HP 200LX日本語化キットの開発を主導した北角権太郎氏は、その後 株式会社リンク・エボリューション(Link Evolution) を設立し、赤外線通信(IrDA)を武器にモバイル通信の常識を覆す2大ハードウェアを相次いで開発・世に送り出しました。それが、携帯電話に装着する超小型アダプタ 「IrGEAR」 と、PCのUSBに挿す親指サイズドングル 「IrSTICK」 です。

IrGEAR(IrGEAR for KEITAI) 2000年発売
PDC携帯電話用 超小型赤外線通信アダプター

IrGEAR (IrGEAR for KEITAI)

【携帯電話の底面に直結するワイヤレス革命】
NTTドコモなどのPDC携帯電話コネクタに直接カチッと差し込むだけで、携帯電話を「赤外線モデム」に変貌させた世界最小クラスのアダプタ。重さわずか十数グラム、電池不要(携帯電話本体から給電)という驚異的な小型化・省電力設計を実現しました。

【HP 200LXやPDAと赤外線でダイヤルアップ】
IrDAポートを備えたHP 200LXやWindows CE、PalmなどのPDAを携帯電話に向けるだけで、わずらわしいモデムケーブルなしに、DoPaパケット通信(9600bps〜28.8kbps)やデータ通信によるメール送受信・Web閲覧が可能になりました。

【vCard名刺交換と「きんちゃく機能」】
単なる通信モデムにとどまらず、vCard形式での携帯電話アドレス帳データ移行・バックアップや、アダプタ内蔵フラッシュメモリに一時データを溜め込んで運ぶ「きんちゃく機能」など、今日のスマートフォンの先駆けとなる画期的なデータ同期を実現しました。

規格: IrDA 1.0 (SIR) 準拠 開発元: リンク・エボリューション
IrSTICK(IrDA USBアダプター) 2001年〜2002年発売
USB接続 親指サイズ超小型赤外線ドングル

IrSTICK (IrDA USB Adapter)

【PC側の赤外線ポート廃止を救った救世主】
2000年代初頭、薄型ノートPCやデスクトップPCからコストダウンと薄型化のためにIrDA赤外線ポートが相次いで省かれ始めました。その結果、HP 200LXやPalm、携帯電話とPCとの間でワイヤレス通信ができなくなるという「赤外線難民」が発生。これを見事に救済したのがIrSTICKでした。

【親指サイズのUSBドングルに高性能チップ凝縮】
PCのUSB端子に直接挿入できる親指大の極小ボディに、米SigmaTel社製の高信頼コントローラー「STIr4200」を搭載。USBバスパワー駆動で持ち運びも容易、最大115.2kbpsのIrDA SIR通信をプラグ&プレイで安定実現しました。

【HP 200LX、携帯電話の着メロ・アドレス帳管理に必須】
HP 200LXとのファイル同期はもちろん、赤外線通信を搭載し始めた最新の携帯電話(ドコモ504iシリーズ等)との間で、着信メロディや壁紙画像、電話帳データをPCから無線転送・管理する決定版ツールとして爆発的なベストセラーとなりました。

チップ: SigmaTel STIr4200 開発元: リンク・エボリューション

◆ HP 200LXから世界標準(米国IrDA会長就任)への軌跡

HP 100LX/200LX の日本語化という草の根のユーザー・コミュニティ(FHPPC)と、北角権太郎氏の「現場のユーザーのために製品化して支える」という情熱は、やがて「有線ケーブルをなくし、赤外線で世界をつなぐ」という壮大なハードウェア開発へと昇華しました。

IrGEAR と IrSTICK の大成功を通じて赤外線通信プロトコルの第一人者となった北角氏は、その後、国際標準化団体 米国IrDA(Infrared Data Association)の会長(President) にアジア人として就任。世界中の携帯電話や通信機器にIrDAが標準搭載される礎を築きました。HP 200LX は、まさに日本のモバイル・ワイヤレス通信革命の原点を生み出した「ゆりかご」だったのです。

関連技術資料:赤外線通信の詳細なプロトコル解説はこちら
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資料編 1 Pages 47 - 54
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日本語化キット開発年表・製品仕様・歴史的報道

開発年表、同梱マニュアル・製品仕様、若松通商の取扱、PC Watch報道記事

HP 200LX 日本語化キット パッケージと本体
写真:秋葉原・若松通商などで販売された日本語化キットと関連ハードウェア。

日本語化キット開発年表91 年5 月ビジネスシヨウにて、Lotus ブースでHP 95LX が日本で初めて紹介される8 月THE BASIC91 年9 月号にてHP 95LX が紹介される末ごろIBM PC マガジンに、ゼロ・ハリ氏による95LX の連載始まる92 年1 月NIFTY-Serve FYHP フォーラムがオープン2 月KTYPE の登場5 月jmemo Ver.1.00 登場HP 95LX ソフト開発キット(サポートなし)FYHP 登録10 月「HP 95LX ハンドブック」発売11 月HP 95LX システムマネージャドキュメントFYHP 登録HP 95LX プログラミングガイドFYHP 登録jmemo Ver.2.00 発表12 月kdisp95 Ver.0.05 登場93 年1 月kdisp95 Ver.1.00 登場2 月kdisp95+fep.exm 構想の発表font.9 作成計画の呼びかけfep.exm Ver.1.00 登場font.9 が ELISA.FNT に決定、ELISA.FNT 会議室開設3 月ELISA.FNT Ver.0.50 が公開される5 月HP 100LX 発売。同月のビジネスシヨウにて紹介される7 月日本語表示ドライバ knj100lx 完成のウワサが流れる8 月kdisp100 Ver.0.30 登場fep100.exm 配布開始HP100LX のクロックアップが試みられる9 月font100.sys 登場kmemo Ver.0.50 暫定公開10 月LogExpress 登場11 月yadc 登場PC WAVE 93 年12 月号「特集 HP 100LX 日本語化計画」

月刊ASCII 93 年12 月号「お楽しみディスク」に日本語化ソフト収録exfont 登場12 月fontman 登場94 年2 月EFM100 登場3 月EMM100 登場IME100 登場4 月HP 100LX 徹底活用ブック」発売。この中でHP 100LX のクロックアップ手法公開BIBLE のTIPS 募集開始7 月dsp14 登場クロックアップキット発売(現在では、国内だけでも1 万数千人が行なっている。)

8 月クロックアップオフ(NIFTY-Serve FMODEM 主宰)を境にクロックアップ広まるHP がアメリカで200LX を発売kdisp200 登場9 月YHP が日本で200LX を発売FYHPPC 発足10 月「HP 200LX 日本語化キット」発売95 年2 月「HP 100LX/200LX BIBLE」発売恵梨沙フォント 1.00 MoreEXM 登場EXM 開発キット(現NKIT)さわり版登場10 月4MB 拡張メモリキット発売製品仕様について対象機種HP 100Lx,200Lx 更新日 1997/05/09 Q:HP 200LX-J と今までのHP 200LX の違いは何ですか?A:HP 200LX-J はHP 200LX(2MB モデル)にオカヤ・システムウェアより発売されている日本語化キット (4MB ミニフラッシュカードにプリインストール)をバンドルした製品です。

Q:通常のHP 200LX で日本語を使うには何が必要ですか?A:下記の製品ですオカヤ・システムウェア(株)「HP 200LX 日本語化キット」

1.

フロッピー版フルセット

FEP(WXII エー・アイ・ソフト(株)製)付エディタ(MIFES-mini/メガソフト(株)製)付

2.

フラッシュ・パッカー版フルセット(エプソン販売(株)の商品です)

この製品はHP では販売やサポートを一切いたしませんので、お取り扱いやサポートについてのご質問は、 オカヤ・システムウェア(株)にお願いいたします。200LX ユーザのためのお役立ちグッズLX ユーザー(LXer と呼ばれている)の中に、屋外で通信をしようとしたとき、携帯電話やPHS、カードモデム、ケーブルなどで手がいっぱいになり、本体の操作ができなくなると言う経験はないだろうか。そういった経験を持つLXer にお勧めなのが、HP 100/200LX コミュニケーションパレットだ。これを使えば本体、携帯、ケーブルがトレイ上にコンパクトにおさまり通信ができる。さらにこのトレイのよい点は、トレイに乗せたままPC カード、IrDA、シリアル、AC アダプターが使える点だ。

▶●製品名:HP 100/200LX コミュニケーションパレット
▶●価格:3,980 円
▶●発売元:有限会社 次世代技術研究所
▶●問い合わせ先:若松通商

【本体】

従来機種の値下げも同時発表日本HP、「HP 200LX」にメモリ4MB 版を追加、2MB 版を値下げ'97/3/7 発売価格:93,000 円連絡先:日本ヒューレット・パッカード株式会社 カストマ・サポート・センタTel.03-3335-8333日本ヒューレット・パッカード株式会社は、従来機種よりメモリ容量を2MB 増設したモデル「HP 200LX 4MB モデル」を発売した。価格は93,000 円。同時に従来機種の価格改訂も行った。従来機種の「HP 200LX 2MB モデル」は19%値下げして75,000 円、日本語化キット付属の「HP 200LX-J」は14%値下げして119,000 円となった。

□日本ヒューレット・パッカード株式会社のホームページhttp://www.jpn.hp.com/□プレスリリースhttp://www.jpn.hp.com/Corp/pressreleases/FY1997/PP09LX4.html('97/3/10)[Reported by shiina@impress.co.jp]

【PC Watch ホームページ】

ウォッチ編集部内PC Watch 担当 pc-watch-info@impress.co.jp日本HP、HP 200LX の受注を10 月末で完了'99 年8 月5 日 発表日本ヒューレット・パッカード株式会社(日本HP)は、パームトップPC「HP 200LX」の受注を10 月末をもって完了すると発表した。200LX については、すでに米HP が11月1 日に生産を中止すると発表し、国内のユーザーグループが生産中止反対の署名運動などを行なっていた。

受注完了の理由について、リリースではつぎのように述べられている。「5 年という歳月の中で世の中の技術の発展に伴ったWindows CE や各種新世代携帯端末の台頭により近年はその需要が激減しておりました。少しでも長く皆様のご希望にお応えする為の企業努力を続けてまいりましたが、これ以上の継続は経営的にも困難であるとともに本製品のサポート条件でございます“製造中止後最低5 年間に及ぶ保守部品の確保とサポートの継続”も、昨今の半導体技術刷新の中で受注完了時期をさらに延長し部品を確保し続ける事は困難であると判断し今回の決定を致しました」。

また、200LX からWindows CE「HP Jornada」シリーズへの日本語環境におけるマイグレーションソフトウェア「HP PIM トランスレータ」を11 月上旬に提供する計画であるとしている。HP 200LX のユーザーグループが、17 日に東京・名古屋・大阪で生産中止反対の街頭署名運動を予定1999 年7 月16 日米ヒューレット・パッカード社のパームトップコンピューター『HP 200LX』のユーザーグループで、古くからその日本語化などの活動拠点となっていたNIFTY SERVE の“FHPPC ユーザーズフォーラム”が、6 日にヒューレット・パッカードが発表したHP 200LX 生産中止のリリースを受け、明日17 日、東京・秋葉原/名古屋・大須/大阪・日本橋において、HP 200LX 生産中止の反対を求める街頭署名運動を行なうという。

『HP 200LX』(筆者もこのマシンに、そしてHHPPC フォーラムにたいへんお世話になった1 人である)HP 200LX は、'94 年に発売されたPC/XT アーキテクチャで、CGA 互換の640×200 ドットFTN モノクロ液晶ディスプレーを搭載したMS-DOS パソコン。スケジューラー、アドレス帳、メモ帳、データベース、出納管理ソフト、表計算ソフト『Lotus 1-2-3』、メールソフト『Lotus cc:Mail』などがROM で搭載され、単3 電池2本で数週間は十分動くという電池寿命の長さと、160×86.4×25.4mm で、312g(電池込み)という携帯性のよさで現在でも人気のある、小型携帯端末の傑作機。

ROM に搭載されているMS-DOS は英語版で、当初は日本語での利用はできなかったが、熱心なユーザの活動により、日本語化ソフトが開発され、市販されるにいたった経緯がある。今回生産中止署名運動を行なうNIFTY SERVE のFHPPC ユーザーズフォーラム(旧FYHPPC)は、その日本語化ソフト開発活動の母体で、熱烈なHP 200LX ユーザのメッカともいえるフォーラム。フォーラムが発表したリリース文によると、「(前略)このようなユーザの意向を反映しない形での生産中止、上位互換性のある代替機種が開発されていない現時点での生産中止を受け入れることはできない」とし、「ユーザの声を同社に伝達し再考を促し、生産中止の撤回、生産の継続、代替機種の開発を要望するための活動を行なう」という。明日行なう予定の街頭署名はこの運動の一環。ホームページを通じても反対運動を行なっている。

米ヒューレットパッカードのHP 200LX 中止のニュースリリース(http://www.hp.com/pressrel/jul99/06jul99...)FHPPC ユーザーズフォーラム (http://member.nifty.ne.jp/fhppc/)200LX 生産中止反対運動のページ (http://hp.vector.co.jp/authors/VA002310/...)(編集部 佐々木千之)

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資料編 2 Pages 55 - 60
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JKIT-Freeについて・HP200LX改造に関する考察と実際

JKIT-Free解説(NORI氏)、倍速クロックアップ改造・4MB/32MB増設(K.Toda氏)

JKIT-Free について(02/12/31 版)JKIT-Free とはHEWLET-PACKARD 社のHP95LX,100LX,200LX は英語版のまま販売されましたが、このマシンの日本語化がユーザ主導によって行われたことはご存知の方も多いと思います。JKIT-Free はこの流れの延長線上にありますが、公開までの流れを簡単に説明します。100LX の時に、ユーザ達が個々に日本語化用のツールを作成していたのを、オカヤ・システムウェア社が中心となって、HP200LX 日本語化キットとして1994 年9 月販売しました。

この日本語化キットに含まれる日本語化用ソフトの著作権はすべて著作者が保有し、販売権だけをオカヤ・システムウェア社が保有する形で販売が行われました。1999 年10 月にはHP200LX の生産が完了し、流通在庫を残して新規購入ができなくなりました。2000 年12 月末には、オカヤ・システムウェア社が会社解散し、日本語化キットも流通在庫を残して新規購入ができなくなりました。日本語化キットのFree 化は、200LX が生産完了した時にも話が出たのですが、その時は実現しませんでした。

今回も流通在庫がかなりあり、すぐにFree 化した場合には今までお世話になった販売店の方々に、ご迷惑をおかけするとの判断から公開時期を流通在庫が少なくなるまで先送りにしていました。今回日本語化キットをJKIT-Free として公開できるのは、日本語化キットを作成した当初から、プログラマの著作権を認め、販売権だけを所有する方法を取ったオカヤ・システムウェア社のおかげであると言えます。

▶●LXFNPAT(作者:でじやま氏)

LXFNPAT の機能LXFNPAT は、LXFONT にパッチをあてて、Cドライブが 512bytes/cluster 以外の場合でも正常に表示できるようにします。

▶●FEPIO(作者:関谷 博之氏)

FEPIO の機能FEPIO は、JKIT-Free にてFEP100.EXM を利用できる様にするためのソフトです。。

▶●LXJEX(作者:関谷 博之氏、寺崎 和久氏)

LXJEX の機能LXJEX は、日本語化キットの他のドライバにサービスを提供するためのデバイスドライバです。LXJEX の機能にユーザーが直接触れることはありませんが、非常に重要な役割を担っています。

▶●LXKKC(作者:関谷 博之氏)

LXKKC の機能DOS5.0 でWX2+を使うためには、DOS 付属のKKCFUNC.SYS というデバイスドライバを組み込んでおく必要があります。ところが、HP200LX のROM 内蔵のDOS は英語バージョンなので、KKCFUNC.SYS は含まれていません。そこで、KKCFUNC.SYS の代わりに、LXKKC.SYS を使うようにしてください。KKCFUNC と違って、LXKKC にはDOSSHELL のタスクスイッチに対応するための機能が含まれていませんが、HP200LX で使う限りは問題ありません。LXKKC は、KKCFUNC と同様に、

CONFIG.SYS でWX2+よりも前の行で組み込んでください。
▶●LXANSI(作者:関谷 博之氏)

LXANSI の機能PC-98 と違って、IBM PC 系のマシンでは標準でエスケープシーケンスがサポートされていません。エスケープシーケンスで画面制御を行うプログラムを使う場合は、CONFlG.SYS でLXANSI を組み込んでください。

▶●LXEMM&EMSINST(作者:関谷 博之氏)

LXEMM とEMSINST の機能HP200LX 本体には、EMS やXMS といった拡張メモリを利用するためのドライバが付属していません。そもそも、CPU が一世代前の80186 相当ですので、プロテクトメモリを使った仮想EMS ドライバやXMS ドライバを利用することはできないのです。しかし、FEP が必須になる日本語環境では、EMS やXMS がなければコンペンショナルメモリが非常に狭くなってしまいます。

でもご安心ください。200LX 専用のEMS ドライバであるLXEMM を使用すれば、内蔵RAM ディスクの一部をEMS メモリとして使うことができるのです。FEP をEMS メモリに逃がすことにより、コンペンショナルメモリの消費を最小限に抑え、快適な日本語環境を構築することができます。

▶●LXFONT&LXBUF(作者:みゅう氏)

LXFONT を使うDOS/V の日本語表示システムは、日本語のフォントを管理するフォントドライバと、受け取ったフォントを画面に表示するためのディスプレイドライバから成り立っています。HP200LX のMS-DOS は英語バージョンですが、DOS/V と同様の手法で日本語化することができます。その役割を担うのが、LXFONT(フォントドライバ)とLXDSPD(ディスプレイドライバ)です。DOS/V のフォントドライバはフォントファイルをXMS などの拡張メモリに読み込み、そこからディスプレイドライバに供給しますが、残念ながらHP200LX ではXMS が使えません。XMS の代わりにコンペンショナルメモリに読み込むこともできますが、メモリの消費量が大きく、実用的ではありません。そこで、LXFONT はディスクから直接フォントを読み出すことにより、メモリを極力節約する設計になっています。

▶●LXDSPD&LXVM(作者:みゅう氏)

LXDSPD はMS-DOS で日本語を表示するためのドライバで、DOS/V で言うところの$DISP.SYS やJDISP.SYS に相当します。LXDSPD の特徴は、あらゆる大きさのフォントに対応し、行間ドット数を可変とすることで、非常にフレキシブルな画面設定を可能にしていることです。小さなフォントで情報量を増やすのも、大きなフォントで文字を見やすくするのも、あなたの自由です。

▶●LXDSPS(作者:まるは氏)

LXDSPS は、システムマネージャ(HP200LX の内蔵アプリケーション)で日本語を表示するためのドライバです。システムマネージャで使われる3 種類のフォントサイズに合わせて、常に最適なサイズで日本語表示を行います。また、内蔵アプリケーションのカーソル移動と文字の削除を全角単位で行うように拡張することにより、日本語の編集も違和感なく行えるようになっています。

▶●LXIME(作者:KaZoo 氏)

LXIME は、システムマネージャ(HP200LX の内蔵アプリケーション)で日本語を入力するためのドライバです。システムマネージャはMS-DOS とは異なる特殊な環境ですので、DOS 用のFEP をそのまま利用することはできません。そこで、LXIME はユーザーからのキー入力をFEP に渡して変換させ、その結果を受け取ってアプリケーションに入力することにより、システムマネージャ上でもFEP の変換機能を利用できるようにしています。原理的には、Windows 上でDOS 用のFEP を利用するための「MS-KANJI インターフェイスかな漢字変換」と似通ったプログラムです。

謝辞このJKIT-Free パッケージを配布するためにご協力を頂いた作者の皆様に感謝します。オカヤ・システムウェア関係者の皆様の今までの努力に感謝します。多くの現役LX ユーザの皆様に感謝します。2001 年10 月 1 日 武力ではない平和解決を祈りながら2002 年12 月31 日 武力以外の選択がされないことを憂いながら@nifty FHPPC NORIHP200LX の改造に関する考察と実際Last modified: Tuesday, 20-Apr-99 17:10:06 GMT HP200LX の可能性を探るContents§動作クロックに関する情報§内蔵メモリに関する情報§筐体に関する情報§OS に関する情報§通信に関する情報§その他の情報

◆動作クロックに関する情報

メーカ出荷時点でのHP200LX の動作クロックは7.91MHz である。クリスタル自体は動作クロックの2倍の物を使用している為、実際に使用されているクリスタルの周波数は15.82MHz のものだと推測される。HP100LX が販売されていた頃、NIFTY のFMODEM フォーラムの面々により動作速度の解析がなされ、Hornet(HP100/200LX に使用されているintel 製80186CPU)の動作モードに1.5倍速と2倍速のモードが有ったのが発見される。

2倍速モード時に必要なクリスタルの周波数は31.64MHz の為、FMODEM の有志により31.64MHz で動作するクリスタルが特注で作成された上で「世田谷廢人クラブ」のステッカー・画面表示修正用のドライバ入りFD・取付方法説明書をセットにして販売され、「簡単・正確に出来るクロックアップ法」として好評を博する。ほぼ同時期、関西方面では近似値として汎用の32MHz クリスタルを使用し、ドライバソフトにより補正する方法で2倍速動作を実現していた。改造法はFMODEM 製クリスタルと同様に、標準装着のクリスタルを外して入れ替えると言う簡便な物であった。

或る時、FHPPC フォーラム内で2倍速以上の動作速度を実現させるべくHC-49U 型の36MHZ クリスタルを使用し、ケースを削って本体内に実装し動作させると言う企画が立ち上がる。当初は動作機種が非常に限られていた上に、システム自体も非常に不安定な物であった。私自身もその企画に乗って同形式のクリスタルを探しに行くが、「入荷即売り切れ」の状態が続いていた為、たまたま寄った千石電商で購入したHC-49U/S 型のクリスタルを使用し実装した処、場所の問題などを難無くクリアした為にFHPPC に報告を上げた処「カタログ上でしか存在していなかったモデル」らしく、その後HC-49U/S を使用した2.27倍速改造が主流になるが、本来規定されていない動作速度の為シリアルやIr 回りの不具合を回避する為にFMODEM クリスタルと36MHz クリスタルを2個実装し、スイッチに依って切り替える方式が流行する。

非公式な記録では、外部電源を注入して40MHz で動作したとの話が在るが、詳細は明らかにされていない。

◆内蔵メモリに関する情報

通常HP200LX には2MB の内蔵RAM が載せられている、最近は4MB 実装のモデルも販売されているが、過去は2MB モデルが標準であった。実装方法としてはマザーに1MB+ドータ1MB の2MB モデルが先に有り、その後マザーに2MB 実装されたモデルの後にマザー2MB+ドータ2MB の4MB モデルと言う順になっている。HP200LX の2MB モデルを使用する際、2MB の内640KB がDOS の動作領域として使用される為に、実際使用可能な容量としては約1.3MB となる。

メモリ容量増加に関する話の最初はやはりFMODEM で1+1MB モデルのドータボードを取り外し、特製の4MB 実装ドータを組み込み実質5MB としたのが最初である。やはりこちらも「世田谷廢人クラブ」のステッカーと日本語化キット用EMS 修正FD のセットで販売される。その後個人でマザー1MB に汎用の4MB メモリチップを空中配線で繋いで5MB にしたモデルが出て来たが、雑誌記事が確認出来なかった為にその後の消息は不明。

4MB モデルが販売された頃、ドータに2MB チップを載せる為の空きランドが有るのが発見され、そこに18160 互換の2MB チップを載せると実装6MB になることが確認された為、18160 互換チップによる6MB 化が主流になる。同時期T.N.S.により4MB と16MB のドータが同人ハードとして有明のコミックマーケットにて売り出される。FHPPC では18160 互換チップに拠るメモリ増設を機に、メモリチップと本体ドータコネクタ部のアドレスの解析が進み、2MB モデルの亀々方式に拠る4/6/8MB 実装モデルが出て来る事となる。

解析はその後も進み結果32MB を実装するに至る。私の使用しているLX は亀々で4MB になっています。

◆筐体に関する情報

筐体は強化プラスティック製である。私自身の手掛けた筐体に関する改造としては、「イヤホンジャック増設」「筐体塗装」「黒弐百式化」位である。「イヤホンジャック増設」は、LXMIDI と言う内蔵BEEP を使用してMIDI(GM/FORMAT 0)が聞けるソフトが発端となり、外部スピーカー/ヘッドホンを使用して綺麗な音でMIDI を楽しむ為に内蔵のスピーカーの配線に割込みを掛け、イヤホンジャック向けに配線を出した上で筐体に穴を開けて外部イヤホンジャックを付けてしまおうと言う改造である。

私の場合、本体に加工をせず、当時使用していなかった外部電源用電源コネクタを取り外し、その場所にイヤホンジャックを組み込んで見た。配線は特に凝った事をせず、下ケースからマザーに向けて伸びているスピーカーのラインに配線を巻き付け、そのままイヤホンジャックに接続するだけに留めたが、スピーカーの許容容量の違いに起因したらしく、イヤホンジャックにイヤホンを挿すと丁度良く内蔵スピーカーが死んでくれたのを覚えている。

筐体の塗装に関しては、最初プラカラーで重ね塗りをした後にクリアを吹いて完成させる予定だったが、電池カバーを塗装して耐久試験をした際にクリアがすぐに剥がれて表面が汚くなってしまうと言う問題に見舞われた為、下地処理をしっかりした後にプラサフを何度か吹いた上で自動車用の塗料を使用して見る事にする。塗装の仕上がり自体は非常に綺麗に仕上がり、表面のモールドを埋めた為にHP200LX とは似ても似つかない代物に仕上がってしまったが、塗膜が薄かった為に少々使用しただけで表面に傷が入り始めたので、標準の状態に戻す。

「黒弐百式化」とは、HP100LX の筐体を使用し、マザーボードのみ入れ替えで200LX と同等の性能を備えた黒い筐体のLX を作成しようと言う計画で、旧くはHP200LX が日本国内に入荷した即日に差し替えた人が居るほどの簡単な改造法である。私も多分に漏れず、中古で購入した100LX の筐体を使用して「黒弐百式」として使用していたが、100LX の弱点である「首折れ」が発覚した為に再び標準状態に戻さざるをえなくなる。

◆OS に関する情報

HP200LX のROM に搭載されているOS はMS-DOS5.0 の英語版である。100LX の頃はフリーソフトを使用して日本語化するのが主流であったが、200LX 発売とほぼ同時期にオカヤ・システムウェアより「HP200LX 日本語化キット(以下JKIT)」が発売された為に、JKIT を使用して日本語表示環境を構築するのが主流になる。……で、此処まで書いて HP200LX ハードウェアバイブルを読んで貰った方が早いと気が付いた。

と言うわけで、詳細はソフトバンクから出ている本に詳しいです(笑)written by K.Toda@Tokyo.japan

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